|『正信偈』学習会|仏教入門講座
三蔵流支授浄教 焚焼仙經歸樂邦 平成30年12月18日(火)
- 2019年2月12日
 「三蔵」とは、経・律・論を極めた者に与えられる尊称です。「経」は仏教経典のことで「律」は僧侶や信徒が守るべき戒律「論」は経典を展開した注釈書になります。ちなみに戒律のうち「戒」は生活習慣となることが求められるような基本的な決まりで、誰もが守ることができるものであることから、たとえ破ったとしても罰則を伴いません。一方の「律」は意識して守らなければならない法律のような規則で、守ることに努力が必要であることから破ると罰則を伴います。三蔵法師といえば『西遊記』に登場している玄奘三蔵が有名ですが、ここにある「流支」とは菩提流支のことです。北インド出身で、508年から511年まで洛陽の永寧寺に住し『金剛般若経』や『入楞伽経』、『十地経論』、『浄土論』等、39部127巻を翻訳したとされ、地論宗の祖とされている高僧です。曇鸞大師と菩提流支にまつわる逸話は和讃に次のように取り上げられています。

 本師曇鸞和尚は 菩提流支のをしへにて 仙経ながくやきすてて 浄土にふかく帰せしめき
 四論の講説さしおきて 本願他力をときたまひ 具縛の凡衆をみちびきて 涅槃のかどにぞいらしめし

 曇鸞大師が菩提流支の「教」によって「仙経」を焼き捨てて浄土の教えに帰依し「四論」の説を差し置いて阿弥陀仏の本願の教えを説いて仏教からほど遠いところにいる煩悩に縛られた凡夫を仏道に導いたということです。この「教」は『仏説観無量寿経』ではないかともいわれていますが、親鸞聖人が「経」ではなくあえて「教」としていることから、菩提流支が翻訳した『浄土論』であると思われます。「仙経」とは道教の経典です。中国には仏教伝来以前から、儒教と道教という教えがありました。儒教が先祖供養や生活倫理を説く教であるのに対して、道教は仙人になるための不老長寿の方法を説いている教えになります。曇鸞大師は龍樹菩薩を中心とした「空」を説く四つの論(中論4巻(龍樹)、百論(提婆)、十二門論(龍樹)の三論に、大智度論100巻(龍樹))を宗とした四論学派の僧でした。『大集経』六十巻の注釈を行っていましたが死ぬまでに終えることができないと考え、寿命を延ばすために当時北魏の皇帝であった孝静帝の相談役でもあった道教の陶弘景に弟子入りし、不老長寿の教えが書かれた『衆醮儀』を授かったのです。この「仙経」を受け取った曇鸞大師が菩提流支に会い浄土の教えを受け、授かったばかりの「仙経」をその場で燃やしてしまったのです。
 仏教の僧侶でありながら道教の経典をもらいに行くことに違和感を覚えるかもしれませんが、日本でも仏教と多くの神々は違和感なく同居しています。仏教はその地域の人たちの価値観を否定する教えではないからです。日本人が持っている神々に対する思いに重ねて仏教が浸透したように、中国でも儒教や道教の思想に重ねて仏教が入っていきました。重ねるというのは異なる価値観が一つになるということです。日本の神々が仏教的な意味合いを持ったように、曇鸞大師は不老長寿という幸福の基準が「樂邦」の中で解釈されていったのです。「樂邦」とは無量なる寿命を湛える極楽浄土のことです。和讃では、不老長寿を説く「仙経」だけではなく「四論」の教えも「樂邦」になったとあります。健康で長生きならば幸せであるという基準が道教であるのならば、この世の一切は「空」であると知るのが「四論」の幸せの基準です。もちろん、曇鸞大師は不老長寿が幸せであると思っていたわけではありません。不老長寿でなければ仏教の歩みを成就できないと思っていたのです。別に不老長寿や「空」であることを知ることがいけないわけではありません。ただそれらのことはすべての人が不老長寿や崇高な知恵を手に入れられることではないのです。一切衆生が救われるのは、どのような人生であってもそれで良しとする世界です。それが「樂邦」になります。自分の寿命や健康状態だけではなく、能力の高低や知恵の多少、境遇の良し悪しに縛られることなく、今ある現実を是として受け止め、そこに絶対的な価値を見出すことですべての人が救われるのです。この絶対的な価値とは、本願といわれる本質的な願いが明確になるということです。曇鸞が開いた浄土教とはこのような教えになります。






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