|『正信偈』学習会|仏教入門講座
即横超截五惡趣8 餓鬼2(『往生要集』2とその他の経典) 平成28年10月18日(火)
- 2016年12月27日
10、『六波羅蜜経』にある餓鬼
 ある餓鬼は髪が長く垂れさがり全身を覆っています。その髪の毛が刀のように身体を刺し切ったり、髪が炎となって身体中を焼いたりします。別の餓鬼は昼と夜にそれぞれ五人の子供を産み、産むとすぐにその子供を食べてしまいますが常に空腹を満たされることはありません。
11、『大智度論』にある餓鬼
 ある餓鬼は何も食べることができず、ただ自分の頭を割って取り出した脳みそだけを食べることができます。別の餓鬼は口から火を噴き飛んでいる蛾を焼いて食べています。また別の餓鬼は糞尿や涙、膿、血、器を洗った後の残りを食べています。
12、『瑜伽論』にある餓鬼
 ある餓鬼は、外的要因によって食を得ることができません。その餓鬼はいつも酷い飢えに苦しみ身体はやせ細っています。清らかな流れを見つけると走ってそこに向かいますが、怪力の鬼がいて杖で打ち据えて追い返します。最後には火と成り燃え尽きるか、枯れ朽ちてしまいます。
 別の餓鬼は、内的要因によって食を得ることができません。その餓鬼はお腹が山のように大きいのに口が針の穴のように小さいので、たとえ食事にありついてもそれを食べることができないのです。
 また別の餓鬼は、外的にも内的にも問題がないのですが食を得ることができません。その餓鬼はたまたま僅かな食事を見つけて口に入れると、たちどころにその食事は猛焔となり身体を焼いてお尻から出てしまいます。

 人間世界の一ヶ月がこの世界の一日で、餓鬼の寿命は五百歳です。これを人間世界の年月に直すと一万五千年になります『正法念経』には、物欲に溺れたものと嫉妬心に焼かれたものが餓鬼道に落ちると説かれています。

解説
 ここまでが『往生要集』の内容です。前々回までの地獄編と同様に、社会で行われている悪業を思いとどまらせるために、当時の僧侶たちが想像力を膨らませて考えた世界です。ただし、地獄編と違っているのは、地獄は悪業をなした者が人の姿のままで恐ろしい世界に落ちるというものでしたが、この餓鬼は悪業をなした者が魑魅魍魎の姿になってしまうということです。
 『六波羅蜜経』、『大智度論』、『瑜伽論』から引用されている餓鬼の姿には、餓鬼道に落ちる因となるような悪業は書かれていません。『六波羅蜜経』の餓鬼は自分の髪の毛で苦しむ餓鬼と、自分の産んだ子供を食べることしかできない餓鬼が書かれています。『大智度論』の餓鬼は自分の脳みそを食べる餓鬼や、蛾や糞尿などとても食料とは考えられないものしか食べることしかできない餓鬼が書かれています。これらは恐ろしい魑魅魍魎というよりは、生きていくことそのものが苦である姿といえます。『瑜伽論』では、餓鬼の姿そのものではなく、飢える原因を三つに分けています。アプローチの仕方こそ違いますが「食べる」という、生きていく上での大切な、そして大きな楽しみを、苦しみに変えてしまう、もしくは得られなくしてしまうという、想像しやすい罰として考えられています。この世界に捕らわれている時間も、地獄に比べればはるかに短いものの、一万五千年という、日常の感覚からすれば気の遠くなるような長さとなっています。
 『往生要集』では、ここまでですが、元々は死者をあらわしていた餓鬼(インドの言葉のではpreta)ですから、これが魑魅魍魎という意味に変化していく過程で、様々な解釈がなされています。
 『阿毘達磨順正理論』には次の様にあります。
 一に無財鬼、二に少財鬼、三に多財鬼なり。この三にまた各々三あり。無財鬼の三は、一に炬口鬼、二に鍼口鬼、三に臭口鬼なり。少財鬼の三は、一に鍼毛鬼(その毛は針の如く以て自ら制し他を刺すなり)、二に臭毛鬼、三に癭鬼なり。多財鬼の三は、一に希祠鬼(常に社祠の中にありその食物を希うなり)、二に希棄鬼(常に人の棄つるを希うて之を食すなり)、三に大勢鬼(大勢大福、天の如きなり)
 まずは、全く食べることのできない餓鬼と、僅かしか食べることのできない餓鬼、たくさん食べることのできる餓鬼の三つに分けて、それぞれをさらに三つに分けています。「炬口」とは、かがり火のように燃えている口ということですから、口にするものが皆燃えてしまうということです。「癭」とはデキモノのことですから、口の中にうまく入らないのでしょう。問題はたくさん食べられる餓鬼です。これでは餓鬼にならないように思えます。捨てた物しか食べられないというのは、まだ今までみてきた餓鬼に近いものがありますが、後の二つは餓鬼というよりも妖怪変化の類です。今のような餓鬼の概念がまだ固まっていなかったのでしょう。
 最も餓鬼の姿が整理されているのが『正法念処経』でしょう。『往生要集』にも多く引用されていますが、源信が引用しているもの以外にも、多くの餓鬼が説かれています。

1.針口、口は針の穴のようでお腹は大山のように膨れています。食べたものが炎となり、常に炎に焼かれています。蚊や蜂などの毒虫にもたかられます。物欲に駆られ、僧侶に布施することも、困っている人に衣食を施すこともせず、仏の教えを信じることもなかった者がこの報いを受けます。

2.食糞、糞尿の池で蛆虫や糞尿を食べていますが、飢えを満たすことができません。僧侶に不浄の食べ物を施した者がこの報いを受けます。次に生まれ変わっても人間になることはほとんどありません。

3.無食、全身が飢えの炎に包まれていて何も口にすることができません。池や川に近づくと、自らの炎で干上がってしまいます。それ以上近づこうとすると鬼に追い払われてしまいます。自分の権力で善人を牢に入れて餓死させ、少しも悔い改めない者がこの報いを受けます。

4.食唾(た)、人々が吐いた唾しか食べることができません。僧侶に、不浄な食物を清浄だと偽って施した者がこの報いを受けます。

5.食鬘、華鬘(花で作った飾り)しか食べられません。仏や族長などの華鬘を盗み身に着けた者がこの報いを受けます。

6.食血、血しか食べられません。肉食を好み、妻子に分け与えなかった者がこの報いを受けます。

7.食肉、肉しか食べることができず、人の行き交う場所や繁華街に住んでいます。重さをごまかして肉を売った者がこの報いを受けます。

8.食香烟、供えられた香の香りだけしか食べられません。質の悪い香を販売した者がこの報いを受けます。

9.疾行、屍しか食べることができません。墓場や疫病などで多くの死者が出た場所に現れます。僧侶でありながら、遊興にふけり、病人に食事を与えることもせず自分だけ食べた者がこの報いを受けます。

10.伺便、人糞しか食べることができません。しかもその人の気力を奪ってしまいます。身体中の毛穴から炎が噴き出しており、自らも焼かれています。人々を騙して財産を奪った者や、村や町を襲撃して略奪した者がこの報いを受けます。

11.地下、地下世界に住み、常に鬼によって苦しめられています。他人の財産を奪った上に、その人を縛って牢獄に閉じ込めた者がこの報いを受けます。

12.神通、神通力を持っており、自らは苦痛を受けることはないものの、他の飢えた餓鬼に囲まれ嫉妬の混ざった苦しみの表情を見続けなければなりません。他人の財産を騙し取り悪い友人に分け与えた者がこの報いを受けます。

13.熾燃、身体から燃え出る炎に苦しみながら、人里や山を走り回っています。街を破壊しそこの住民を殺して財産を奪い、権力者に取り入って権力を手に入れた者がこの報いを受けます。

14.伺嬰児便、生まれたばかりの赤ん坊しか食べることができません。自分の幼子を殺された恨みから、来世で夜叉となって他人の子を殺して復讐しようと考えた女がこの報いを受けます。

15.欲食、盛り場に現れて人々を惑わし食物を盗みます。身体が小さく、どんなものにも化けることができます。美しく着飾って売春した者がこの報いを受けます。

16.執杖、閻魔王の使い走りをしており、風しか食べることができません。頭髪は乱れ、上唇と耳は垂れさがっており、大きな声で怒鳴ります。権力者に取り入って、その威を借りて悪行を行った者がこの報いを受けます。

17.食小児、子供しか食べることができません。まじないで病人を治すとだました者が、等活地獄の後にここに生まれます。

18.食人精気、十年から二十年に一度、仏法僧の三宝を敬わない人間の精気を奪って食べることができます。いつも刀の雨に襲われています。戦場などで、友人を見殺しにした者がこの報いを受けます。

19.羅刹、人々が多く行きかう場所に現れ、人々を襲い狂気に陥れ殺害し食べてしまいます。自分は殺生した生き物の肉で豪華な食事を取りながら、他人には僅かな食料を高額で売りつけて暴利を得た者がこの報いを受けます。

20.火爐焼食、燃え盛る炉の中で残飯を食べています。善き友を遠ざけて、僧侶の食事を盗み食った者がこの報いを受けます。

21.住不浄巷陌(はく)、道端の蛆虫が湧いているような排便所に住み、嘔吐物などを食べています。僧侶に不浄な食事を与えた者がこの報いを受けます。

22.食風、風しか食べることができません。僧侶や困っている人々に施しをすると言っておきながら、約束を破りいつまでも待たせていたものがこの報いを受けます。

23.食毒、毒しか食べられず、すぐに死んでしまいますが、また何度でも生まれ変わります。毒殺して財産を奪ったものがこの報いを受けます。この餓鬼の世界には毒しかなく、夏は人間世界の百倍の暑さとなり空から火が降ってきます。冬には人間世界の百倍の寒さとなり空から刀の雨が降ってきます。

24.曠野、猛暑の中、ひたすら水を求めて荒野を走り回ります。行商人の水飲み場を壊し商品を奪った者がこの報いを受けます。

25.住塚(ちょう)間食熱灰(かい)土、火葬場に住み、遺体を焼却した後の灰や土を食べています。水を得ることができないために常に渇きに苦しみ、その場から離れることができないように鉄の首枷をされ、獄卒に刀や杖で打ち据えられます。仏に供えられた花を盗みお金に換えた者がこの報いを受けます。

26.四交(きょう)道、人々が行きかう場所に住み、ここで祭事が行われた時にお供えを分けてもらって食べています。これ以外のものは口にできません。行商人の食料を奪い飢えさせた者がこの報いを受けます。

27.殺身、焼けた鉄を飲まされます。僧侶の修行を様々な方法で妨害してきます。邪法を正法であるかのように説いて様々な悪行をなした者がこの報いを受けます。

 この経典には、餓鬼の姿だけではなく、どのような者が餓鬼道に落ちるのかが説かれています。これを見ていただけるとわかりますが、その多くの罪が「施し」に関わるものです。この「施し」は特に初期大乗仏教において重視されていました。ジャータカと呼ばれる仏教説話の多くが、この「施し」を勧めるものです。この「施し」はヒンズー教やイスラム教にも見られる、当時の宗教共通の美徳であったようです。富める者はもちろん、貧しい者でもできる限りの施しをすることを求めていました。ただし施す対象は宗教者ではありません。困っている人すべてが対象でした。もっとも「施し」をしなければならないのが仏弟子でした。ただし、初期の仏弟子は財産を持つことを禁じられていましたから、財産を施すことができませんでした。そこで教えを説くことをもって「施し」としたのです。自分の財産だからといって「施し」をしない人を「お金の亡者」というのです。この「亡者」が餓鬼です。これは財産に限った話ではありません。命や人生も自分だけのために使ってしまえば「亡者」となります。とは言っても、なかなか執着を離れることはできません。そこで、餓鬼道を説くことで「施し」をすることを勧めたのです。 






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