|『正信偈』学習会|仏教入門講座
即横超截五惡趣7 餓鬼1(『往生要集』1) 平成28年8月16日(火)
- 2016年9月20日
 餓鬼道には二つの場所があります。一つは地面の下五百由旬(一由旬は約七km )の閻魔王の領界です。もう一つは人の世界と天の世界の間にあります。餓鬼の姿には数え切れないほど多くの種類があり、ここではそのほんの一部だけを説明します。

1、钁身(かくしん) 貪財屠殺の罪
 この餓鬼は人の倍ほどの大きさがあります。顔には目も鼻もなく、手足はまるで鎌で出来た脚のようです。身体の中には熱い火が満ちており常にその身は焼かれています。蓄財のために殺生した者がこの報いを受けます。

2、食叶(じきと) 食事を家族に分け与えない罪
 この餓鬼はとても大きく、半由旬もあります。他人の嘔吐したものしか食べることができないために、なかなか食べることができません。財産がありながら自分ばかりが美食に走り妻子に与えなかった者や、自分だけ食事をしながら夫や子供に与えなかった者がこの報いを受けます。

3、食気(じっけ) 自分一人で食事をとった罪
 この餓鬼は、病気治癒を願って水辺や林の中に設けられた祭壇の香を嗅ぐことで生きています。妻子の前で一人美食を貪った者がこの報いを受けます。

4、食法(じきほう) 不浄な説法をした罪
 この餓鬼は、歩くことも困難な険しい場所を走り回って食べ物を探しています。肌の色は黒雲のようで、涙を雨のように流し続けています。仏教寺院で人々の祈りや僧侶の説法に出会うと、その力によって命をつなぐことができます。名誉欲に駆られて不浄な説法をした者がこの報いを受けます。

5、食(じき)水(すい) 酒に水やミミズ、蛾を混ぜた罪
 この餓鬼は、喉の渇きに身を焼き、必死に求めて回りますが得ることはできません。長い髪が顔面を覆い目がどこにあるかわかりません。河原に走っていって、河を渡った人の足から滴り落ちた水があれば、急いですすり飲むことで命をつないでいます。または、人々が手に水をすくって亡き父や母に供えようとする時、少し分けてもらって命を長らえることができます。もし自分の手で水を汲もうとすると、水を守る諸々の鬼が杖で打ち据えてしまいます。酒を水で薄めることや、ミミズや蛾を沈めるなど、邪な商売をした者がこの報いを受けます。

6、悕(け)望(もう) 誑惑して他人の物を取用した罪
 この餓鬼は、人々が亡き父や母を供養するために祭壇を設けた時に、そのお供え物を分けてもらって食べることができます。これ以外のものは食べることができません。人が苦労して得た僅かな物を、誑かし惑わして横取りした者がこの報いを受けます。

7、住(じゅう)海(かい)渚(しょ) 僅かな対価で病人から商品を欺取した罪
 海の中州にいるため、樹木も河水も無く灼熱の太陽に照らされています。この場所の冬と人間世界の夏を比べと、その暑さは千倍をも超えるほどです。朝露だけが唯一の得られる水で、これによってかろうじて命を繋いでいます。海のただ中に住んではいるものの、飲むことができる水はどこにもないのです。病に苦しんでいる行商人から商品を僅かな対価で騙し取った者がこの報いを受けます。

8、食(じき)火(か)炭(たん) 罪人の飲食を取った刑務官が受ける罪
 墓場にいて、遺体を火葬している火を食べていますが、満たされることはありません。刑務所の刑務官をしているときに、服役者の食べ物を横取りした者がこの報いを受けます。

9、樹中(じゅちゅう)住(じゅう) 大切な樹林を伐採した罪
 この餓鬼は、木の中に住む虫のように身体を圧迫されているためにいつも苦しい思いをしています。人々に涼しい木陰を提供していた樹や、出家僧たちのための林の樹を伐採した者がこの報いを受けます(これらは『正念法経』からの引用です)。

解説

 今回から餓鬼になります。餓鬼も様々な経典で説かれていますが、今回は地獄同様『往生要集』に依って見ていきます。いきなり、餓鬼が地下世界と人間界と天界の間の世界二箇所にいるというところから始まります。これは、餓鬼の成り立ちに関係しています。元々、餓鬼のサンスクリット語はプレタといい死者のことでした。それが妖怪や幽霊・精霊のような、神ではないものの人智を超えた存在全般を指すようになりました。ですから、地下世界を住まいとするおどろおどろしいものと、神と人間の間に位置する畏怖の対象となるものが、いずれも餓鬼となってしまったのです。ただし『往生要集』に取り上げられている餓鬼は、いずれも地下世界の住人のようです。
 基本的には、地獄と同様に、当時の僧侶が社会で行われている好ましくない行いを戒めるために、それぞれの行いごとに受ける来世の報いの姿としての餓鬼を説いています。罪としては地獄より軽いのですが、基本としては強欲のために落ちるとされ、その酬いは常に飢えに苦しんでいるということです。

 最初の「钁身」は蓄財の為に殺生した者が受ける報いです。今は蓄財というと悪いことには思えませんが、当時としては日々の生活に必要な以上に蓄えるということは罪と考えられていたということです。この殺生は屠殺ですから、生活のための殺生です。これ自体が悪いのではなく、蓄財するほどに屠殺してはいけないということです。蓄財していたためか、この餓鬼は人間の二倍の大きさがあり、死んでいく者の姿を見ていなかったためか顔がありません。触れる者すべてを切り裂くかのように手足は鎌でできていますが、体の中にある炎で焼かれ続けるといいます。
 「食叶」は身長が3500メートル位という巨大な餓鬼です。財産がありながら自分ばかりが美味しいものを食べて、家族にも食事を与えなかった者がこの報いを受け、人が吐いたものしか食べられないという報いを受けるといいます。
「食気」は自分だけが美食に走った者が落ちという餓鬼です。この餓鬼は一切物を口にすることができず、祭壇に捧げられたお香の香りしか食べられないといいます。
 「食法」は、黒雲のような肌の色をして雨のように涙を流しながら、歩くことも困難な険しい場所を走り回っているといいます。食べることができるのは、寺院仏教での人々の祈りや僧侶の説法だけだといいますから、何も口にすることはできないということです。名誉欲に駆られて不浄な説法をした者がこの報いを受けるといいますから、僧侶限定の餓鬼ということになります。不浄な説法というのは、相手を救うための教えではなく、相手に自分を尊敬させるための教えでしょう。このような教えは、信徒たちの視線がすべて教祖の方に向いていくので、非常に内向の団体になっていきます。浄土真宗でその人が救われるということは、周りの人たちとの間に浄土としての関係性がもたらされるということです。そのために、目の前の方を敬っていけるような法を説きます。それに対して、教祖や教団の人間にしか尊敬の方向性をもたらさない教えは、教団に属していない人に関心を持てなくなってしまいます。内と外が明確に分かれる教えです。その結果、熱心になればなるほど生きていける場所がどんどん狭くなってしまいます。
 「食水」は、河原に住んでいるのですが、川の水を飲もうとすると、水を守る鬼が来て飲むことができないというのです。飲むことができるのは、川を渡った人の足から滴り落ちる水か、人々が手に水をすくって亡き母や父に水をお供えするのを少し分けてもらうしかありません。この餓鬼に落ちるのは、酒を水で薄めて売った者や、お酒にミミズや蛾を入れた者となっています。酒を水で薄めて売るということは、日本でもよく行われていたようです。「水増しする」という言葉の語源ともいわれています。ですから、自分が売る酒に水を入れて客をごまかすということです。ミミズや蛾を沈めるというのは良く分らないのです。蝮なら蝮酒ですけれどもミミズ酒というのは聞いた事がありません。そうすると、自分の売る酒に入れるということではなくて、嫌がらせのためにライバルの酒に入れるということではないかと思います。このような酒屋が当時のインドにいたということでしょう。
 「悕望」は、人々が亡き父や母を供養するために設けた祭壇のお供え物を分けてもらう以外食べられないといいます。この餓鬼には、人が苦労して得た僅かな食べ物を、誑かして惑わして横取りしたものが落ちます。今の言葉でいう詐欺に近いのでしょうが、お供え物しか食べる事が出来ないということは、人々の良心にすがって生きていかなければならないということでしょう。
 「住海渚」は、海の中洲に居る餓鬼だといいます。中洲ですから、木陰をつくる樹木も川も何も無く、太陽に照らされ続けていなければならないというのです。そこで朝露だけしか口にできないのです。周りにある水は海水ですから飲めないのです。病に苦しんでいる行商人から商品を僅かな対価で騙し取った者がこの報いを受けるといいます。当時このようなことがあったということです。
 「食火炭」は墓場にいて、遺体を火葬している火を食べる餓鬼です。刑務所の刑務官でありながら、服役者の食べ物を横取りした者がこの報いを受けるといいます。日本の時代劇を見ても分かりますが、このような仕事は今で言う社会的弱者の仕事でした。どれだけ努力しようが、それ以上の生活は望めなかった人たちが、このような行いをしていたのかもしれません。
 「樹中住」は樹の中に住んでいて、樹の中に住む虫のように身体が圧迫されているためにいつも苦しい思いをしている餓鬼です。人々に涼しい木陰を提供していた樹や、出家僧たちの林の樹を伐採した者がこの報いを受けるといいます。当時のお釈迦さまやその弟子たちは野宿が基本でした。ですから、信徒たちはお釈迦様たちに休息の場所として樹林を提供していたのです。そのような樹木をお金に変えるために伐採する者がいたということでしょう。






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