|『正信偈』学習会|仏教入門講座
如衆水入海一味 平成27年5月19日(火)
- 2015年6月7日
衆水、海に入りて一味なるがごとし



 親鸞聖人はこの部分を、次のように解説なさっています。

 衆水の海にいりて、ひとつあじわいとなるがごとしとたとえたるなり。(『尊号真像銘文』)

 衆水とは一人一人の人生を川に例えたものです。どのような川の水であろうとも、一旦海に流れ込むと一つの味わいになるという一文です。この様に人生を川に例えるということは、お釈迦様の頃にまで遡ります。

 四大川の水も、ひとたび海に入れば、もとの川の名はなくなり、みな同じく名づけて海と呼ぶ。(『増一阿含経』)

 この阿含経典とは、日本仏教が拠り所としている大乗仏教経典が成立する以前からあった古い経典です。ここに四つの川とあるのは、当時お釈迦様が問題にしていたバラモン教の説く「四姓制度」のことです。これは、宗教者階級のバラモン、貴族階級のクシャトリア、商人階級のバイシャ、奴隷階級のシュードラの四つです。どの階級に属しているかは、姓によって区別されているので「四姓制度」といいます。この階級は、単に職業区分を表すだけではなく、尊卑の位でもあります。この階級の外にア・ヴァルナという不可触賤民とよばれる、目にするだけでも穢れると思われている人達もいます。前世の因により今世が決まっているのだから、どの階級に生まれたのかということは絶対的な意味を持つとされています。
 これに異を唱えたのがお釈迦様でした。四姓のどの階級出身者であろうとも、お釈迦様の教団の中では等しく扱われました。このお釈迦様の教団を「海」に例えたのです。出身階級がどこであても、お釈迦様の弟子に入ったならば、皆同じ衣を着て頭を剃りますから、同じ姿となります。そして、四姓を捨て同じ仏弟子と呼ばれる集団の一員となるのです。これを僧伽といいます。僧伽にある序列は入門した順番だけです。たとえ奴隷階級の出身であろうとも、先に入門した者が敬まわれました。お釈迦様のこのような姿勢を表した言葉に

 生まれによって賤しい人となるのではない。生まれによってバラモンとなるのではない。行為によって賤しい人ともなり、行為によってバラモンともなる。(スッタニパータ136、中村 元訳)

というものがあります。ただ、この言葉は生まれによる尊卑は否定しているものの、社会の中での尊卑は肯定しているようにも思えてしまいます。
 曇鸞大師になると「海」の意味が変わってきます。

 海の性一味にして、衆流入るもの必ず一味となって、海の味、彼に隋いて改まざるがごとしとなり。(『浄土論註』)

 阿含経典では出身階級によって違っていた姓を同じ名にするのが「海」でしたが、曇鸞大師は、どのような川の水も同じ味にするのが「海」であるといいます。海は広いですから、どれだけ汚い川の水が流れ込もうとも、海の味を変えることは出来ないというのです。お釈迦様と曇鸞大師では国も時代も違いますから、目の前にある問題も違っていたということでしょう。お釈迦様にとっては、古代インドから今のインドにまで続いている、カーストと呼ばれる階級社会が生む尊卑の問題が大きかったのです。ガンジーもこの問題を解決することは出来ませんでした。それに対して、曇鸞大師の中国では、過去から現在に至るまでインドほど露骨な身分差別はありませんでした。更に、仏教の教えそのものも、曇鸞大師の頃にはお釈迦様の頃から進化していました。お釈迦様が亡くなった後、個人的な救いから他者と共に救われることに重点を置く大乗仏教運動がインドで起こり、さらにそれが西域に伝わると阿弥陀如来を本尊とする浄土教へと発達して来たのです。すると「海」が、仏弟子になれば身分差別がなくなるという例えから、どのような人生を歩んできた者であろうとも、どれだけ人間的に問題のある者であろうとも、すべてを受け入れて清らかなものに変えてしまうという浄土の例えになったのです。これは、お釈迦様が問題のある人を受け入れていなかったということではありません。実際、お釈迦様の弟子には、娼婦であった女性や、多くの人を殺した者もいました。つまり、出身階級を問わないだけではなく、その人がこれまで歩んできた人生も問わなかったのです。このお釈迦様の考え方が、浄土という教えの中でより明確になったということです。親鸞聖人が『正信偈』で語ってらっしゃるのは、この曇鸞大師の『浄土論註』の一節を受けて、極楽浄土の性格を海として表しているのです。
 しかし、親鸞聖人と曇鸞大師が全く同じというわけではありません。親鸞聖人の『尊号真像銘文』と曇鸞大師の『浄土論註』を比べると、『浄土論註』にある「必ず一味となって」というところは「ひとつあじわいとなる」として受け継いでいますいが「海の味、彼に隋いて改まざるがごとしとなり」という部分が省かれています。この理由として考えられるのは、先回お話しましたように、曇鸞大師が浄土に受け入れられるのを五逆を犯した者までとしたのに対して、親鸞聖人は闡提まで広げたということです。親鸞聖人は曇鸞大師のおっしゃっていることを重々承知の上で、海の許容範囲を改めているのです。範囲を改めれば、海の様子も変わります。会の趣旨を理解して下さる方ならどなたでもどうぞ、というのと、会に対して邪まな思いを持った方も、会の趣旨を全く理解する気の無い方もどうぞ、というのに似ています。ですから、どのような人でもみな同じ浄土の味になるというよりも、様々な人たちがその人たちのままで浄土を作っているという内容になってきたのです。
 このような考え方は、親鸞聖人が仏教でいう平等という教えに基づいて展開したものです。今、差別という字は「さべつ」と読みますが、仏教では伝統的に「しゃべつ」と読みます。漢字野の音読みには呉音と漢音があります。仏教では呉音で読むのが一般的です。例えば、正門は漢音では「せいもん」と読みますが、呉音では「しょうもん」と読みますから、寺の正門は「しょうもん」と読みます。この「しゃべつ」も呉音です。ただ、音が違うだけではなく意味も違います。「さべつ」というと悪い意味ですが、「しゃべつ」には悪い意味がありません。区別、相違という意味で、平等の有り方の一面を表す、それぞれがありのままであることを肯定する言葉です。菊の花と薔薇の花が違うというのが「しゃべつ」です。ところが、菊と薔薇に尊卑をつけると「さべつ」になります。眼の不自由な人に道を教えるのに、眼の見える人と同じ説明をするのは平等とは言わないのです。眼の不自由な人に対しては、その人に応じたように接することを「しゃべつ」というのです。似た人はいても同じ人は一人もいないのです。これを同じにすることが平等ではなく、違って当たり前であると頷くのが平等です。問題は違いをどこまで受け入れられるかです。親鸞聖人は、人殺しであったとしても、仏教に嫌悪感を持っている者であったとしても、仏教を騙って偽の教えを広げている者であったとしても、それらすべての人を救わなければ仏教ではないとおっしゃっているのです。これは親鸞聖人が個人的にそのように志したのではなく、長い時間をかけて仏教が救う対象を広げてきたのです。これが仏教の歴史です。
 ですから、親鸞聖人の「ひとつあじわい」というのは同じ味ということではなく、様々な味が混然となっているということです。ですから曇鸞大師の後半部分をあえて省いたのです。これも、曇鸞大師が平等を理解していなかったということではありません。どうすれば少しでも多くの人たちを救えるのかということを悩んだ末に、曇鸞大師は同じ一つの味となり、すべてを受け入れる海に例えたのです。曇鸞大師のこの想いを親鸞聖人が受け取り、現実の社会の中で浄土を考えた時、仏教の平等觀を重ね合わせて、違ったままで相手を認めるという「ひとつあじわい」として、浄土を受け取ったのです。違う人生を歩んでくれているからこそ、私が知らないことを教えてくれるのです。どちらが偉いという話ではないのです。私が知り得ない世界、経験したことがないし、出来ないような事を経験している人たちをそのまま認めるのが「しゃべつ」です。善し悪しでも尊卑でもなく、まして代わることなど出来ないのが、それぞれの人生です。お互いの違いを認め合っていく世界が平等です。このような、お釈迦様から始まった教えの歩みは、大乗経典の中からも窺えます。『仏説無量寿経』の本願文に皆が金色に輝くようにという願いがありますが、これは同じ色になるということではなく『仏説阿弥陀経』にあるように、それぞれの色がそれぞれの色のまま輝くということです。同じく本願文に好醜がないようにという願いもあります。比較ではなく、あくまで区別である、ということです。
ここで注意しなければならないのは、これはあくまでも浄土の功徳であるということです。自分の意識を変えることによって、そのように思えるように努力しなさいという教えではありません。これですと、また個人的な素養や環境によって人をふるいにかけることになります。ただし、これが如来の願いであるということは、常に心に留めておいて欲しいということです。自分では思えないけれども、これは自分が凡夫であるからで、思えないことは仕方がないけれども、そこに痛みを感じて欲しい、ということです。そのあたりを次回のところで触れていきます。






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