|徳法寺仏教入門講座1 インド仏教史|お講の予定

インド仏教史15

仏教の変遷7 ヒンドゥー教の台頭

- 2019年11月28日
1. グプタ王朝の登場

 320年、ヴァイシャ階級出身の地方豪族であったチャンドラグプタは、マカダ国の王に即位しグプタ王朝を開いた。チャンドラグプタはサーンキャ哲学の信奉者であったが、後に仏教僧のヴァスバンドゥ(天親、世親)に帰依して、王子のサムドラグプタの教育を委ねたという。王に即位したサムドラグプタは、インド北部を征服した後、南インドに遠征した。2年にも及ぶ遠征で南インド諸国を属国にすると、更に勢力を東北インド、ヒマーラヤ、西インドにまで拡大し、マウリヤ朝以来となるインド統一を遂げる。ただし、その勢力範囲はインド文化圏から出ることはなかったため、マウリヤ朝やクシャーナ朝のような多文化を包括するような王朝ではなかった。
 グプタ王朝時代に、インドの古典文化が開花する。そのきっかけとなるのが、言語の統一である。これまで、インド各地ではその地域の俗語が公用語となっていたが、グプタ王朝はバラモン教で用いられていたサンスクリット語を公用語としたのである。400年頃には公式文章に俗語が用いられることはなくなり、仏教やジャイナ教もサンスクリット語を用いるようになる。このことは、バラモン教学が官許の思想体系として採用されたことと関係している。サムドラグプタ王はバラモン教学の復興に力を入れ、多くのバラモン教の諸法典が編纂された。『マヌ法典』や『ヤージニャヴァルキヤ法典』など、現代にも影響を与えている法典が社会的規範の体系として承認されていった。アシヴァゴーシャらによって広がっていた美文体の文芸はカーリダ-サにおいて絶頂に達する。彼は『クマーラサンバヴァ』(軍神クマーラの誕生)、『メガードゥータ』(雲の使者)、『リトゥサンハーラ』(季節のめぐり)のような詩集や『シャクンタラー』のような古典戯曲を残している。

2. バラモン教諸哲学学派の体系化

 この時期、バラモン教は仏教やジャイナ教などの思想に影響されながら、次の6学派に体系化された。
① サーンキャ学派
 世界ならびに人間存在の根本に精神と物質という2つの原理を想定し、その両者の交渉から現象世界の多様相が展開されると説く。カピラ(BC350年‐250年頃)によって始められたとされるが、最古の原典はイーシヴァラクリシュナ(4世紀)の『サーンキャ詩』である。
② ヨーガ学派
 「ヨーガ」(瑜伽)とは「結びつける」という意味で、散乱する心を統一し安定させ、静めて、煩悩や迷いをなくする修行のことをいう。「ヨーガ」自体はインダス文明の頃から行われており、仏教の禅定もこれを受容したものである。この学派の根本経典『ヨーガ・スートラ』が編纂されたのは5世紀になってからである。学問的にはサーンキャ学派とほぼ同じであるが、サーンキャ学派が世界の主宰神を認めない理論重視の哲学であるのに対して、ヨーガ学派はこれを認めて念想の対象とするなど直感を重視する傾向にある。この主宰神は、宇宙の活動を開始させる存在であり、業に対する応報がさわりなく行なわれるように管理している存在でもある。またこの神は、聖音とされる「オーム」によって象徴されている。
③ ヴァイシェーシカ学派
 現象界の諸相を詳細に区別して論議する一種の自然哲学である。開祖はカナーダ(BC150年-50年頃)とされるが、根本経典『ヴァイシェーシカ・スートラ』が編纂されたのは2世紀前後であり、5世紀頃にプラシャスパーダによって『諸原理の特質の綱要』という体系的な書が著された。実体・性質・運動・普遍・特殊・内属という6つの原理またはカテゴリーを想定し、それらを細かに区分して論議している。徹底した合理主義で、知識の根拠として感覚と推論のみを認め、聖典すらも知識の根拠としては認めていない。
④ ニヤーヤ学派
 論理学を主とする学派である。開祖はガウタマ(50年-150年頃)であるが、根本経典『ニヤーヤ・スートラ』が編纂されたのは3世紀ごろである。地・水・火・風・虚空の5つの原子によって世界が成立しているとしている。アートマンはこれらとは別の存在と説いている。
 この学派の論理学が仏教に取り入れられ、五明の一つ「因明」として今日も奈良の諸派で学ばれている(他の4つは声明(言語,文典に関する学問 ) 、工巧明(工芸,技術,算暦に関する学問 )、医方明(医学,薬学,呪法に関する学問 ) 内明(仏教の根本精神を明らかにする学問))。
⑤ ミーマーンサー学派
 ヴェーダ聖典の中に規定されている多種多様な祭祀・儀礼の意義を哲学的に研究して統一的解釈を与える学派である。ジャイミニ(BC200年-100年頃)によって確立されたが、根本経典『ミーマーンサー・スートラ』が編纂されたのが2世紀頃であり、シャバラスヴァーミン(550年頃)によって大成された。最も保守的な学派であるが、同時に最も過激な学派でもある。ヴェーダ聖典の規定にしたって神々に供儀をささげ祭祀を行うことによってのみ福運にあずかることができるとしている。ただし、祭祀は神聖なものであるとして婦女子とシュードラ階級の参与は認めていない。また、ヴェーダ聖典を根拠とせずアートマンを否定していた仏教を、最も批判した学派でもある。
⑥ ヴェーダーンタ学派
 ウパニシャッドを含むヴェーダ聖典の編纂が行われていくと、特にウパニシャッドに述べられている内容に多くの矛盾点が生まれてきた。そこでそれらの矛盾点の間に〈一貫した趣意〉を見出そうとした。(仏教でも同様の問題が起こり、経典間での矛盾を取り除く努力がなされた。これを「会通」という。この試みを「会釈」いうが、今使われている「会釈」はこれに由来する。)
 世界の根本原理として唯一なる絶対者ブラフマンを想定している。ブラフマンとは人格的存在でありながら純粋の精神的実体であり、純粋の有である。また、常住・偏在・無限・不滅であり、宇宙の生起と存続と帰滅を起こすものであり、あらゆる存在の母胎とされる。また、ブラフマンから虚空が、虚空から風が、風から火が、火から水が、水から地が生起するとされ、この五元素によってこの世界がつくられている。五元素がブラフマンに帰入することで世界は帰滅し、この創造と帰滅を無限に繰り返している。個我(アートマン)はブラフマンの「部分」であり、別異かつ不異であるため、無始より流転輪廻を繰り返しているとされる。明知を得た個我だけが死後に神路を進んで、最後にはブラフマンに達することが出来る。これを解脱と呼んでいる。
 根本経典『ブラフマ・スートラ』は5世紀ごろに編纂され、シャンカラ(750年-750年頃)により、インドで最も影響力を持つ学派となった。シャンカラはインド史上最大の哲学者と称されるが、その生涯は伝説や神話に彩られている。シャンカラのものとされる多くの書が残されているが、シャンカラは個我とはブラフマンがこの現象世界で個々の上に表れているものであるから、本来は一つのものである(不二一元論)とし、個我となっている原因は無明であると唱えている。無明とは、各個我を自己中心的な行動主体として成立させている先天的原理であるが、これによってこの世界の多様相・差別相が成立している。これらはすべて幻でしかなく、個我がブラフマンと同一のものであり、現象世界は幻でしかないという知慧(明知)を得れば解脱を得て一切の苦悩が消滅するという。
 この思想はインド一般にマーヤー説あるいは仮現説と呼ばれるが、明らかに大乗仏教の影響を受けているために「仮面の仏教徒」と非難されることもある。シャンカラを非難したヴェーダーンタ学派の代表はラーマーヌジャ(1017年-1137年)のグループである。彼はブラフマンを無数の美徳を具有する主宰神ヴィシュヌと同一視し、流転輪廻の原因は無知ではなく最高神に対する信仰がないためであるとする。ただ、個我は世界創造の際に展開したブラフマンの一部であるため、信仰心によってブラフマンであるヴィシュヌに帰依すれば、その恩寵にあずかり解脱を得るという(制限不二論)。この思想は理解しやすかったため、シャンカラが社会の上層階級に影響を与えたのに対して、下層階級に広く受け入れられ、現在も連綿と伝えられている。
 これ以外にも、リンガを最高実在の象徴とし、カーストの区別を否定するヴィーラ・シヴァ派を創設したバサヴァ(12世紀)や、ヴィシュヌの恩寵にあずかるためには信仰だけではなく知識も必要であると主張したマドヴァ(13世紀)、ブラフマンと個我は不一不異であると主張し、修行・明知・念想・ブラフマンへと師への帰依が必要であると主張したニンバールカ(14世紀)、などが次々と現れた。

3. バラモン教からヒンドゥー教へ

 グプタ王朝はインド地域限定の王朝であったため、次第に土着の習俗である階級的秩序を重んじるようになった。これによりカーストによる身分差別は強化され、諸カーストはさらに多くのサブカーストに分けられていった。これを唱導したのがヒンドゥー教である
 ヒンドゥー教の源流は古く、インダス文明にまで遡るとされる。古代からインド各地で多くの神々や祖霊が信仰されていたが、明確な教義を持たないためバラモン教や仏教のような宗教としては扱われていなかった。次々と異民族が侵入してきた紀元前4世紀頃から、2大叙事詩である『マハーバーラタ』や『ラーマーヤナ』の原型や、ヒンドゥー教独自の聖典であるプラーナ聖典の一部が成立し始めている。これは先祖から伝承していた神々に対する想いが、他民族による侵略によって刺激されていったことを表している。同様の理由で、仏教を擁護していたクシャーナ朝も征服王朝であったため、一般民衆の間ではヴィシュヌ神やシヴァ神に対する信仰が盛んになっていった。ただし、上層階級の間では、まだヒンドゥー教は仏教やバラモン教と同等とは認められていなかった。
 グプタ王朝時代になると、ヒンドゥー教諸派はバラモン教の学問・神話・習俗を取り入れ一体化する。宗教としての哲学を備えたヒンドゥー教は上層階級からも支持されるようになる。あらゆる階級に浸透していったヒンドゥー教はグプタ王朝の国教となった。一方で、カースト制度に反対していた仏教とジャイナ教は衰退し、唯物論や懐疑論などの哲学宗教は絶滅してしまう。それまで寺院といえば仏教が主であったが、莫大な寄進を受けてヒンドゥー教の寺院が次々と建造されていく。これらの寺院では、仏像を模する形でヒンドゥー教の神々の豪華壮麗な彫像がつくられた。現在インドにある寺院で、グプタ王朝以降に建造されたものは、ほとんどがヒンドゥー教寺院である。ヒンドゥー教がバラモン教学を取り入れたことで、バラモン教学が社会の前面に押し出されることになるが、ヒンドゥー教が規定する社会における上下関係も、バラモン教学の力を借りて強制力を持つことになる。その一つが「三従」という考え方である。『マヌ法典』には次のように説かれている。

 幼いときでも、若いときでも、老いても、女はなにごとも独立になしてはならない。自分の家のことに関してさえも。幼年時には父に従属すべきである。若いときには、その手をとった〔夫〕に、夫の死後は子らに従属すべきである。女はけっして独立してはならない。女はみずから、その父・夫・子から別離することを欲してはならない。なんとなれば、彼らとの別離によって、女は〔自族と夫との〕両家をひとから非難されるものとするであろうから。

 この思想は仏教にも「五障三従」(女性は,梵天王,帝釈天,魔王,転輪王,仏になることができないことを五障という)として取り入れられている。ヒンドゥー教の影響により、仏教も本来もっていた平等思想が影をひそめることになったのである。このような差別的な思想は、紀元前4世紀ごろに集録された叙事詩『マハーバーラタ』の中にもみられることから『マヌ法典』成立以前に成立していたものである。ただこの時代に法典として明確化されたことにより、これ以降、インドでは寡婦焚死(かふふんし)が盛んに行われるようになり、薪の上で自殺した寡婦は称讃されるようになる。
 バラモン教の輪廻転生とヒンドゥー教の祖霊祭祀が一つになることで教義は複雑化したが、教義よりも儀式を優先させることで、ヒンドゥー教は大衆に広く受け入れられていった。今日でも、ヒンドゥー教徒は祭祀を重要視し生活の一部となっている。

4. ヒンドゥー教の神々

 ヒンドゥー教はインド各地の信仰が合わさった宗教であるため、ヴェーダ聖典に登場する神々以外にも、多くの土着の神々やヤクシャ(半神、霊的存在。夜叉)、祖霊などが崇拝の対象となっている。また、日本の神道にも見られる巨樹信仰や水に対する信仰が今でも残っている。仏典にも示されている龍神信仰や沐浴の習慣は水に対する信仰の表れでもある。その中でも地域を超えて崇拝の対象となっている代表的な神々が以下の通りである。
① ヴィシュヌ神
 太陽が光り照らす働きを神格化したもの。4本の腕にそれぞれ法輪と螺貝と棍棒と弓を持ち、胸には犢(とく)子(し)(小牛)の標識をつけている。7世界の存続と生起と帰滅の原因であり、ガルーダを標識としている。ヴィシュヌ神の世界には諸神と祖霊が住んでおり、神秘の牝牛がいるとされる。悪魔と戦う神とされ、温和・保有・親愛の性を持つものとして多くのヒンドゥー教寺院にその姿を表した彫像が祀られている。「ハリ」とも呼ばれ、シヴァ神と合わせて「ハリハラ」という。大乗仏教の経典である『無量寿経』にはナーラーヤナ(那羅延)という名で登場し、阿弥陀仏になる前の法蔵菩薩が「ナーラーヤナの金剛のごとく堅固な身体と勢力を得」たいと誓いを立てている。
 後に10から24の化身(アヴァターラ)を持つとされるようになる。魚・亀・野猪・矮人・人獅子・馬頭・クリシュナ・ラーマなどであるが、釈迦やサーンキャ学派の祖カピラなど多くの実在の人物もその中に含まれている。これはヴィシュヌ教徒が神々ばかりではなく社会的に有力な宗教者もヴィシュヌの化身として取り込むことで、ヴィシュヌ教が全宗教を包括する立場にあることを主張した結果である。近代に崇拝を集めるようになったジャガンナート神や哲学者なども次々とヴィシュヌの化身と見なされるようになっている。ヴィシュヌ教徒は額に3本の横線を塗っている。
② ラクシュミー
 ヴィシュヌ神の妃。シリーともいう。幸福・美・繁栄の女神。ガルーダを乗輿としている。日本でも吉祥天として知られているが、真言密教では毘沙門天の妃となっている。
③ シヴァ神
 ヴィシュヌ神と並ぶ神。10臂と4面を有し、両目の他に額にもう1つ目がある。頭上に月光をいただいていることから「頭上に新月を戴く神」とも呼ばれる。「神槍パーシュパタ」と「神弓ピナーカ」と戦斧と3叉の戟(ほこ)を持ち、虎の皮をまとっている。天界、地界、下界の主であり一切の生きものを支配することから「三界の主師」とも呼ばれる。またヤクシャの群れをひきつれているので「ヤクシャの王」ともいう。病気や死をもたらすともされ、ハラ(破壊者)やカーラ(時間・死)とも呼ばれる一方で、恵の神ともされる。「踊り手の王者」ともされ、信者たちは恐怖を抱きながらもその強力な力にあずかろうとしている。牡牛に乗っていることから、牛がシヴァ神の化身と見なされるようになり、現在でも大切に扱われている。また、インド先住民族儀式のリンガ信仰がシヴァ信仰と結びつき生殖の神ともされている。その偉大さからマーヘーシヴァラ(大自在天)ともいう。また、世界を破壊する時の黒い形相からマハーカーラ(大黒)ともいうが、日本の大黒天との関係は分かっていない。シヴァ教徒は額に縦の線を塗っている。
 シヴァ神を崇拝するシヴァ教の1つにパーシュパタ派がある。紀元前に起こったとされるこの派の根本聖典『パーシュパタ経』は1世紀頃にナクリーシャによって著されたが、派として確立させたのはカウンディニヤ(4世紀)である。生きとし生けるものはすべてシヴァ神の家畜であると説きシヴァ神を「家畜の主」と呼ぶ。修行として全身に灰を塗ったり、奇声を発したり笑ったり踊ったりして、あえて世間からの嘲笑や軽蔑を招くようなことをする。
 また、不死の薬として水銀を用いシヴァ神と合一することを目指した水銀派がある。これは錬金術とシヴァ神信仰が結びついたものである。
④ ウマー(デーヴィー)
 シヴァ神の妃。パールヴァティーという別名は「山の娘」という意味で柔和で慈悲深い神とされる。ガウリー(輝く白いもの)とも呼ばれる。カーリー(黒きもの)という別名の時は、血と殺戮を好む神とされ「悪魔を殺戮する女神」とも呼ばれる。またドゥルガーという別名の時は、凶暴な姿や女性的な姿で描かれる。元々は別の女神であったものが、一人の神の別の姿としてまとめられていった。
 カーリーまたはドゥルガーを崇拝するのがタントラ教(精力派)である。人間の身体の中に無数の脈管(ナーディー)があり、そのうち最も重要なのが頭頂に達するスシュムナーである。また、蓮華の形をした6つの輪円(チャクラ)が上から下へならんでおり、諸脈管と結びついている。最も下の輪円は「根本のよりどころ」(丹田)といい、リンガの形のブラフマンを含み、そのまわりを女神が蛇のように3まわり半とりまいている。この女神を「とぐろを巻く女神」(クンダリニー)という。生贄として動物や人間がささげられたが、人間の生贄は後にイギリスによって禁止された。また、輪座という複数の男女による乱交や、サーダナーという特殊なヨーガ、人肉を用いる呪術なども行われていた。極めて異端であると思われるが、一方でカーストや男女の差別を認めなかった。これが仏教に影響を及ぼして真言密教が成立した。
⑤ ガネーシャ
 ヒンドゥー教で新たに登場した神。「眷属の支配者」という意味で、元々はシヴァ神の呼称の1つであった。ガナパティ(眷属の主長)ともいう。シヴァ神とパールヴァティー妃の子として登場する。知慧学問と商売の神として崇拝され、ガーナパティヤ派の主神として多くの信徒を有している。1牙・4臂・長腹の姿で鼠を乗輿とする。ヴェーダ経典にある象面の半神と障礙の半神ヴィナーヤカがシヴァ信仰と結びつき、さたにシヴァ信仰と結びついて生まれた神である。シヴァ神同様、人々に禍悪を引き起こすが、帰依する者には福徳を与える。仏教では大聖歓喜天(歓喜天、聖天)として、特に真言密教で崇拝されている。
⑥ クリシュナ
 元は歴史的人物であったと言われているが様々な神と混同され、プラーナ聖典ではヴィシュヌ神と同一視されるようになった。『マハーバーラタ』やその付録である『ハリヴァンシャ』に英雄として登場し、特に若き日のクリシュナとの愛人ラーダーとの物語は広くインド民衆に知られている。クリシュナは一切の道徳性を持たず、ひたすら強力な腕力を誇る神である。クリシュナ信徒の間ではヴィシュヌ神がクリシュナの化身であるとされている。
⑦ ブラフマー(梵天)
 ヴィシュヌ神、シヴァ神と並ぶ3大神。4面の顔を持ち蓮華を象徴としており、乗輿にはハンサ鳥(白鳥)が繋がれている。妃はサーリヴェトリー。「神界の王者」「神々の師」「全世界の創造主」「世界の主」と呼ばれ、永遠・自在・不可見・不生・不滅・不変・無始無終とされる。このことから、時間や死と同一視されることもある。世界創造神であるため、この世界環境だけではなくブラフマンをも創造したとされる。
⑧ 八大世界守護神
 ヴェーダ聖典に登場していた神々が、ヒンドゥー教の中で別の役割をあてがわれるようになる。その1つに方角の守護神がある。経典によって異なるが『マヌ法典』では次のようになっている。
 • 東方 インドラ(帝釈天・天帝) 
 ヴェーダ経典では最強神であるが、ヒンドゥー教では神の王とはされるものの3大神よりは格下になっている。多くの女神を侍らす理想的な武勇の王として、欲情に関する物語が多くなっている。雷神や雨神としても崇拝されている。
 • 東南 アグニ
 ヴェーダ経典では火の神としてインドラに次ぐ地位であったが、ヒンドゥー教では影が薄くなってしまった。
 • 南方 ヤマ
 ヴェーダ経典では最初の死者であり、天上楽殿王者として登場していたが、ヒンドゥー教では恐ろしい死神となって登場している。この影響で仏教では閻魔王として説かれている。日本の閻魔大王は、閻魔王に中国の習俗がさらに加えられたもの。
 • 西南 スーリヤ
 太陽神としてプラーナ聖典に登場し、中世の刻文に多く登場している。現在のヒンドゥー教でも太陽崇拝は盛んである。
 • 西方 ヴァルナ
 ヴェーダ経典では崇高な蒼穹神・司法神であったが、ヒンドゥー教では単なる水神となってしまった。仏教では水天とされ、水天宮はこの神を祭っている。
 • 西北 ヴァーユ(パヴァナ、風神)
ヴェーダ経典ではインドラ、アグニと並ぶ神であったが、ヒンドゥー教では猿王の父役にとどまっている。
 • 北方 クーベラ 
 ヴェーダ経典では魔族の王であったが、ヒンドゥー教では財宝の神となった。仏教では仏教を護持する四天王の一人である毘沙門天(多聞天)とされ、同じく北方の守護神とされている(他の3神は、東方の持国天、南方の増長天、西方の広目天)。
 • 東北 月神(チャンドラ、ソーマ)
 チャンドラは光と月の神とされる。ソーマは元々祭祀で用いられる興奮作用のある飲料または原料の植物を指していたが、ヒンドゥー教では月が神々の酒盃と見なされたためにソーマは月の神とも考えられるようになった。
⑨ その他の神々
 アレキサンドロス大王がモデルともされる軍神スカンダ(韋駄天)や、恋の神カーマ、鳥の王ガルーダ(迦楼羅)、馬頭の半人半獣キンナラ(緊那羅)や河川の女神から音楽の神となったサラスヴァティー(弁才天・弁財天)などがある。

5. ヒンドゥー教の聖典

 ヒンドゥー教の根本聖典はバラモン教のヴェーダ聖典とされ「天啓聖典」と呼ばれているが、古代語で書かれているため、一般にはその内容はほとんど理解されていない。実際に経典として用いられているのが「古伝書」と呼ばれる聖人賢者が著した書物である。祭祀の方法などが書かれている「スートラ」と呼ばれる経典の一群や『マハーバーラタ』と『ラーマーヤナ』という2大叙事詩、紀元後に書かれた「プラーナ聖典」、それよりも後に成立した「タントラ」や「アーガマ」などの文献である。これらの文献は、生活全般を規定しており、カースト制度などもこれらの経典によって詳細に決められている。これはヒンドゥー教が持つ差別性の根拠となっているが、同時に様々な経典を取り入れてきた歴史的な寛容性をも示している。この寛容さは、キリスト教や仏教のような組織的な教団を作らなかったことにも表れている。実際に、多くの王朝がヒンドゥー教を国教としたが、教団といえるような組織がなかったことから、ヒンドゥー教が政治力を持つことはなかった。

6. ヒンドゥー教の祭祀

 多神教であるヒンドゥー教には多くの祭祀がある。ガンジス川での沐浴は特に功徳があると考えられているが、太陽信仰も各地で行われている。祭礼の時には神輿をかつぎ、山車を引いて練り歩く。そして、神に祈るときには灯明をささげる。インドを代表する祭祀に「水瓶の祭り」(クンバメーラ)がある。水瓶に水を満たして人生の幸福を祈るというもので3年ごと(ナシーク、ウッジャイン、プラヤーガ、ハルドワールを巡回する)に行われ、その際には全インドから数千万人の巡礼が集まる。これ以外にインド各地で毎年行われる祭祀としては次の6つが知られている。
① ホーリー
 パールグナ月(2月から3月ごろ)の満月の日の3日もしくは10日ほど前から行われ、満月の夜から翌朝にかけてクライマックスをむかえる。飲食を楽しみながら松明をともし、だれかれ構わず色のついた粉や水をかけ祝福しあう。
② ドゥルガー・プージャ
 アーシュヴィナ月(9月から10月ごろ)の白月(月が満ち始めてから満月に至るまでの15日間)の最初の日から9夜にわたりインド全土で行われる。互いに贈り物をするが、近年は靴を贈ることが多い。
③ ダセーラ
 アーシュヴィナ月の白半月の10日に行なう。ラーマ王子が悪魔ラヴァーナを殺したことを祝う祭りである。
④ ディーワーリー
 カールッティカ月(10月から11月ごろ)の黒半月の最後の日(新月の夜の宵)にインド全土で行われる。家や寺院の内外に灯明をともしラクシュミー女神を拝む。
⑤ マカラ・サンクラーンティ(冬至。1月14日)
 太陽が北に向かって山羊座(マカラ)に入るときであり、吉祥と考えられている。北方インドではガンジス川に沐浴し、南インドでは飯を炊き、牛に花輪を飾り、友人に贈り物をする。
⑥ サラスヴァティー
 マカラ・サンクラーンティとホーリーの間に行なわれるサラスヴァティーの祭り。子供の祝日とされている。-






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