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インド仏教史14

仏教の変遷6 大乗仏教興隆

- 2019年11月27日

1. 大乗仏教興起

 大乗仏教の興起は、マウリヤ朝が崩壊したBC180年頃からグプタ朝が成立したAC320年頃までの、およそ500年間とされている。マウリヤ朝時代、仏教教団は国や商人から多額の寄進を受けていた。このため、出家者は托鉢を行わなくとも寺院の中で瞑想や教理の研究に専念できるようになり、次第に民衆との距離が広がっていった。これを問題視した一部の出家者や在家信者たちが、従来の仏教を「小乗」と貶斥し、自分たちのことを「大乗」と称したのである。「大乗」とは「大きな乗り物」という意味であり、大・多・勝という意義を持たせている。これは、大きな教えであり、多くの人を救う教えであり、勝れた教えであるということである。大乗仏教興起は、紀元前を興起前期、紀元後を興起後期に分けることができる。興起前期はインド西北からギリシャ人、サカ人、パルティア人が相次いで侵入してきた時期であり、興起後期はクシャーナ族(月氏族)が北インドに帝国を築いた時期である。
 興起前期とは、マウリヤ朝の崩壊により小国が乱立し、インド全域で戦乱が絶えなかった時期である。マウリヤ朝によって整備された大規模灌漑施設は修理不可能なまでに荒廃し、交通網も分断されてしまった。このため各地は孤立し、閉鎖的になった地域社会の中で、マウリヤ朝が無くそうとした世襲的な身分制度は、より強固なものへと変化していった。ただしこの時期は、まだ身分制度が職業区分と完全に一体化するまでには至っていない。このような状況の中で、インド全域に勢力を拡大させていた仏教教団も、地域ごとに分断されてしまう。同時に、一般民衆とその指導者であった説教師を中心としたいくつかのグループが、教団からの拘束力が弱まる中で新しい仏教運動を起こしていく。これが大乗仏教の興起となる。
 興起後期とは、クシャーナ朝により再び大国による統治が行われた時期である。征服王朝であったクシャーナ朝は、中国やローマ帝国と政治的・経済的・文化的交渉を行うなど、融合的・包容的な傾向が強かった。この結果、天文学・医学・論理学などは目覚ましい進化を遂げた。芸術ではガンダーラ地方でギリシャ彫刻の影響を受けた仏教美術も出現している。デリーの南にあるマトゥラーでも仏像が作られているが、こちらはインドの伝統的な作風である。仏像が刻印された金貨も作られるなど、クシャーナ朝によって仏教は手厚く保護されたが、他の宗教も認められていた。一方で南インドではサータヴァーハナ王朝が有力となり、バラモン教を国教とする伝統的な文化圏を形成した。ただ、両王朝共に多くの小藩侯国を抱えており、それらは身分制度を基盤にした世襲王国であった。この体制を維持するために、身分制度を正当化するための新たな法典も編纂されていった。
 このような状況の中で、大乗仏教を標榜するグループは全く新しい仏教経典の編纂を行った。この経典に登場する釈迦は、歴史的人物としてではなく、大乗仏教が目指す理想的な存在として描かれている。ただし、基本的な教義が変わったわけではないため、経典に用いられている用語は従来の仏教と同じである。大きく変わったのは、従来の仏教諸派が国王などから政治的・経済的援助を受けていたのに対して、大乗仏教は権力から距離をとり、荘園などの寄進を受けなかったことである。これは、仏教の本質を民衆に寄り添う利他行に見出していたためである。しかし、現実には民衆が利他行を行うことは容易ではない。そこで、自らが利他行を行うのではなく、諸仏・諸菩薩の利他行によって自分が救われるという思想が強くなっていく。これに応えるために、既にこの世にいない釈迦ではなく、現在慈悲を行じている諸仏・諸菩薩が必要になった。それが、東方世界の阿閦仏や西方世界の阿弥陀仏、最も仏に近い現在修行中の菩薩である弥勒菩薩、慈悲の象徴である観世音菩薩などである。これら諸仏・諸菩薩に対する民衆の信仰は、これまで禁止されていた礼拝の対象となる偶像を必要としたため、マトゥラーやガンダーラ地方などで、仏像や菩薩像が盛んにつくられるようになった。民衆の求めに応じる形で大乗仏教が取り入れたのは仏像だけではない。仏教は欲を戒めることが基本であったが、諸仏・諸菩薩を信仰するならば多くの富が得られということや、無病息災となることが説かれ、これをかなえるための呪句(陀羅尼・総持)なども用いられるようになる。これらはあくまでも教えを受け入れやすくするための方便として説かれたものであったが、後に大乗仏教の一部が非仏教化してしまう遠因となってしまう。
 この頃の大乗仏教はまだ信仰運動であり、教団といえる組織にまでは至っていない。哲学的な論究よりも民衆への教化に重きを置き、従来の仏教説話などを基により華麗な表現を用いた戯曲的な展開の大乗経典が次々と作られていった。哲学的な意義をも内在させたこれらの経典は宗教的文芸作品であるとも言える。中央アジアから東アジアでは、禁欲的な従来の経典よりも、この様な大乗経典の方が広く受け入れられていった。しかし、それまで禁忌とされていたことを取り入れた大乗仏教は、従来の仏教諸派から糾弾されることになる。また、仏教自体が正統バラモン系統の諸哲学やジャイナ教から敵視されるようになり、この後、大乗仏教は多くの論難を受けることになる。

2. 大乗仏教の無我説

大乗仏教の理論的基礎を完成させたとされるのがナーガールジュナ(龍樹)である。ナーガールジュナは、諸行無常・諸法無我・涅槃寂静を仏教の根本教義(三法印)とした。これは従来の仏教用語を踏襲したものであるが、その内容は同じではない。最初期の仏教では「無我」ではなく「非我」であった。これが「無我」と変化するが、従来仏教での「我」とは「アートマン」(魂)であり「自己」「自我」という意味であった。つまり「自我(魂)は存在しない」というものであった。これが大乗仏教では「我」は「本体」「自性」という意味になる(「無我であって、すなわち鏡面に映像のごとくに自性のないものは、どうして・・・本性上存在することがあろうか」)。この「無自性」とは、大乗仏教が「小乗」として批判した説一切有部の「もろもろの法の自性が実有である」という主張に対して「もろもろの事物は、互いに条件づけられ、相互依存して成立しているもの(縁起的存在)であり、法の自体なるものは実存しない」と主張した理論である。これにより「無我」と「縁起」が同じ概念(縁起即無我)となった。さらに「無自性空」として「空」の思想にも結び付いていく。ただし、アートマンとしての「我」も否定していることから、従来の「無我」を「人無我」として、自性としての「無我」の「法無我」と区別し「法無我」をより根底的なものとした。

3. 大乗仏教における空と仏性

 「仏性」とは「仏となり得る可能性」のことである。すべての人が仏となり得ることを「悉有仏性」というが、この「仏性」という概念は大乗仏教になってから生まれたものである。これを生み出したのが「空」という「一切諸法は空であり、それぞれのものが固定的な実体を有さない」という思想である。すでに原始仏教の頃から「世間は空である」と説かれていたが、大乗仏教はこれを発展させ「諸法は空である」とし、大乗仏教の基本教説とした。これを説いたのが『大般若波羅蜜多経』『般若心経』『金剛般若経』などの般若経典群である。従来は煩悩から離れることが「さとり」であった。ところが、この「空」によって「諸法が空であるならば、本来空であるはずの煩悩などを断滅することも、真実には存在しない」こととなり、このような理法を体得することが「無上正等覚」という「さとり」であるとされた。ナーガールジュナはこの点を強調し「諸法が「無自性空」である以上、如来も「空」である」として、仏とは「縁起」あるいは「空」の理法そのものであるとした(「縁起を観ずることが、すなわち法を観ずることであり、それがそのまま仏をみることである」)。
 大乗仏教は、すべての民衆を救うことを目的とし、そのような在り方を菩薩としたが「空」という思想により、自分が民衆を救うのだと思ったならば、すでに菩薩ではないということになった。なぜならば、救う者も、救われる民衆も「空」であり、救われて到達する境地も「空」であるからである。また、あらゆる相はみな虚妄であり、もろもろの相は相にあらず、と見ることが如来を見ることであるとされたため、如来には所説の教えがないという理解になった。教えは重要なものではあるが、川を渡る筏のようなものでしかないとされ「方便」という位置づけとなる。この「方便」は川を渡れば不要のものとなるように、教義が目的ではなくなったのである。このような認識を「知慧の完成」(般若波羅蜜多)と称し、布施・持戒・忍辱・精進・禅定の五つの完成と合わせて「六つの完成」(六波羅蜜多)と称した。この「知慧の完成」は「ありのままにみる」ということであり、すべての者が得ることができる知見である。これを「仏性」という。すべての民衆は「仏性」を得ることができるが、現状では煩悩に覆われて認識できなくなっている、という理解である。

4. 慈悲の高調

 最初期の仏教から「慈悲」の精神は説かれていたが、部派仏教の頃には仏の慈悲だけが強調され、仏弟子の行とは見なされなくなってきた。これを批判した大乗仏教では「慈悲」が仏教の中心に置かれることになる。大乗仏教では仏弟子を菩薩と呼ぶが、菩薩とは一切衆生を救おうという慈悲心を持ったものであり、自らのさとりだけを求めた小乗仏教の仏弟子である阿羅漢と区別された。大乗仏教で登場する「弥勒菩薩」の「弥勒」とは「友愛」という意味であり、この菩薩はすべての衆生を我が子のように慈しむ心を具現化したものである。
 「慈悲」が重視されると、さとりである「知慧」との関係が問題となった。一般には「知慧」によって「慈悲」がはたらくとされるが、ナーガールジュナは「大悲はこれ一切の諸仏・菩薩の功徳の根本なり。これは般若波羅蜜の母なり。諸仏の祖母なり。菩薩は大悲心を以ての故に、般若波羅蜜を得。般若波羅蜜を得るが故に、仏となることを得」(『大智度論』第二〇巻)と、「慈悲心」があるからこそ「知慧」が得られるとした。さらに「また大悲心の力を以ての故に、無量の阿僧祇世の生死のうちの心より厭い没することなし。大悲心の力を以ての故に久しく、涅槃を得べきも証を取らず」として、菩薩はさとりに入ることなく、永遠に「大悲心」に徹するべきであるとしている。この思想を具現化したのが悪人を救うために輪廻を繰り返すとされる地蔵菩薩である。ただし、これは僧侶に求められるものであり、信徒はひとえに慈悲心による救済を求めるだけでよかった。このような「慈悲」の思想は、同時期のヒンズー教にもみられるが、大乗仏教ほど顕著なものではない。ただこの「知慧」と「慈悲」の関係は、この後も大乗仏教諸派の間で議論が繰り返されることとなる。
 「慈悲」は自他不二倫理であるため、自己と他者が対立しているという認識から生まれる「自己犠牲」を伴わない。この自他不二倫理という思想は、仏教以前にまでさかのぼる。ウパニシャッドでは「汝はこの全世界なり」「われは汝なり」とアートマンとしての同一性を説き、バラモン教もヒンズー教もこの基礎的見解にもとづいている。ただし、大乗仏教はアートマンを否定しているため、これとは見解を異にする。根源的な存在としての自他不二ではなく、一切の対立を離れた境地からの「自他平等」「自他互融」としての自他不二である。
 この理論によって、大乗仏教は他の思想から論難を受けることになる。一切が「空」であるならば、対象も「空」であるから「慈悲」が成り立たないのではないか、というものである。これに対して大乗仏教は、一切が「空」であるという境地において、初めて真実の「慈悲」があらわれると答えている。後に登場する浄土教の阿弥陀如来はこの思想を具現化したもののひとつである。「空」の境地とは「何もない」のではなく、一切の束縛から離れ、自由なこころもちで行動することなのである。
 「慈悲」は日本語で「いつくしみ」「あわれみ」「なさけ」などと解釈されるが、それらと全く意義内容とは言えない。「慈悲」とはすべての執着を離れたものであるから、相手の感性は尊重しながらも自分の感性からは離れており、すべての衆生に対して平等にはたくものである。しかし、日本語の解釈は、情緒的な意味合いが強い。この「慈悲」は、インドの身分制度を否定することになる。
5. 戒の定義 悪

 大乗仏教の悪を『大品般若経』は次のように定義している。

① 殺生の罪
 生あるものに対して、これは衆生であるということを知って、殺そうという心をおこし、その命を奪う・・これを殺生の罪と名づける。
 衆生を繋いだり、監禁したり、鞭で打つなどは、殺すのを助けるしたかである。
 みずから〔他人の〕身を殺すのではなくても、心の中で相手は衆生であるということを知って〔なんらかのしかたで殺すのは〕殺生の罪である。
 夜中に人を見て、「〔それは人ではなくて〕杭や樹木である」と思いをなして〔誤って〕人を殺してしまったのとは異なる。
 故意ではなくて〔誤って殺したときには〕殺生の罪とはならない。
 〔精神異常で〕狂っていたり白痴であったのではなくて、〔正常な精神状態で〕生きものの命を断じるのは殺生の罪となる。
 ただ口で命令したり、あるいは口で命令したばかりではなくて〔自分もなにかの事をして〕殺してしまったのは、殺生の罪となる。
 ただ心に悪いことを思ったばかりではなくて、〔身体でも何かのことをした〕このようなことがらを、殺生の罪の特質〔があるもの〕となす。
② 盗みの罪
 与えられていない物を取るというのは、他人のものだと知りながら、盗みの心を生じて、物をもとあったところから離して、その物をわれに属させること ― これを盗みと名づける。
 そのほかの手段、計算、ないし手をもっていまだその物の存在するところからその物を離さないならば、それを盗みを助けることがらと名づける。
③ 邪婬の罪
 父母、兄弟、姉妹、夫、子ども、世間の法、国王の法に護られている女人を、もしも犯す者があれば、これを邪婬と名づける。もしもこれらのものに護られていなくても、法(宗教的な法)によって護られている女人がいる。〈法によって護られている女人〉というのは、どういう人であるのか。一切の出家した女人〔尼僧や出家見習の少女〕と、在家の女人で一日だけ斎戒を受けている人々を、〈法によって護られている女人〉と名づける。あるいは暴力によって、あるいは財によって、あるいはだまして誘惑し、あるいは妻がみずから受戒しているときに、あるいは妻が妊娠しているときに、あるいは乳児を哺育しているときに、あるいは身体のうちで性的歓楽をなす部分ならざるところ(非道)で淫することを、邪婬と名づける。このように種々あるが、ないし花飾りを遊女に与えて目的を達するとか、こういうふうにして〔女人を〕犯す者を名づけて邪婬となす。
④ ことばの罪
 妄語とは、汚れた心をもって、他人をたぶらかそうと欲して、真実を覆い隠して、実際とは異なったことばを発し、口による業を生じる。これを妄語と名づける。妄語の罪は、ことばに従って互いに理解することから生じる。もしもお互いに諒解するということがなければ、真実を伝える語ではなかったとしても、うそをついたという罪にはならない。〈虚偽のことば〉というのは、知っていることを「自分は知らない」といい、知っていないことを「自分は知っている」といい、見たことを「自分は見なかった」といい、見ていないことを「自分は見た」といい、聞いたことを「自分は聞かなかった」といい、聞いていないことを「自分は聞いた」というのを、〈虚偽のことば〉と名づける。
ラーフラが口を慎まなかったという伝説
また、次に仏の実子・ラーフラは、〔入門した当初は〕まだ年が幼くて、まだ〈口を慎む〉ということを知らなかった。人が来て、かれに、「世尊は、いらっしゃいますか?」と問うと、いつわって、「いらっしゃいません」といった。また釈尊がおられないときに、人が来てラーフラに「世尊はいらっしゃいますか?」と問うと、いつわって「仏は、いらっしゃいます」といった。ある人がこのことを仏に告げた。仏は、ラーフラに語られた。「澡盤に水を入れて、わが足を洗ってくれ」と。足を洗いおわると、ラーフラに告げていわれた。「この澡盤を覆せ」と。ラーフラは、すぐさま命じられたとおりに、覆した。仏はいわれた。「水を澡盤に注入せよ」と。水を注いだところで、仏は問われた、「水は澡盤の中に入るかどうか?」と。ラーフラは答えた。「〔澡盤はすでに覆してあるから〕水は中に入りません」と。仏はラーフラに告げていわれた。「慙愧の心のない人は、妄語をして、心を覆しているから、道にかなった教えの入らないことは、まさにこのとおりである」と。
⑤ 飲酒の罪
 〈酒を飲んではならない〉ということについていうと、酒に三種類ある。一つには穀物からつくった酒、二つには果実からつくった酒、三つには薬草からつくった酒である。果実酒というのは、ブドウ、アリシュタ樹の果実など種々の果実からつくった酒である。薬草酒というのは、種々の薬草を、米や麹や甘蔗の汁のなかにまぜて合すると、変化して、醗酵して酒となるのである。〔これらは〕蹄のある動物の乳からつくった酒と同じである。一切の乳を熱して熟させると、中は酒となることが可能である。まとめていうと、乾いているもの。あるいは湿っているもの、あるいは清らかな〔純粋の酒〕、あるいは濁っている酒である。これらのものは、人の心を動揺させ、なまけて放逸にさせる。それを名づけて〈酒〉となすのである。これらをすべて飲んではならない、というのが〈不飲酒〉と名づけられたことなのである。

6. 時代悪

 原始仏教の時代から、徐々に世の中に悪がはびこるようになるという思想はあったが、大乗仏教ではより強調されるようになる。バラモン教では、世の中を四つの時期に分けているが、最後の時期を末世(カリ期)という。これが仏教に取り入れられ、釈迦から時代が遠くなるほど悪くなり、末世に至るとされた。これを「五濁悪世」という。これは煩悩のような個人的なものではなく、時代的なものである。
① 劫濁
 時代の濁り。時代と共に戦争や疫病や飢饉などが多くなる。時代的な環境社会の穢れ。 
② 見濁
 思想の乱れ。よこしまな思想がはびこるようになる。
③ 煩悩濁
 貪り・怒り・迷いなどの煩悩がはびこるようになる。
④ 衆生濁
 心が鈍くなり、体も弱くなるなど、衆生の資質が低下する。
⑤ 命濁
 寿命が短くなっていく。

7. 恩

 他人から受けた恩に報いるという思想は最初期の仏教からあるが、大乗仏教では独自の発展を示している。『般若経典』では、相手から恩を受けていなくても、〈報恩〉の念を持つことを求めている。自分が生きていられるということは、すべての衆生の恩恵を受けているという考え方である。また、自分が他人に恩をかけることができたとすれば、それも多くの人々のおかげであるから、そのこと自体も感謝しなければならないという。つまり、報恩は利他や慈悲と思想的に繋がっていることとなる。これは、報いを求めない奉仕の精神ともいえる。






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