|徳法寺仏教入門講座1 インド仏教史|お講の予定

インド仏教史2

‐仏教以前2 六師外道1‐

- 2018年8月17日
 『リグ・ヴェーダ』などの聖典を持ったアーリア系の部族は、支配地域をインド北西部から東部や南部に広げていく過程で、先住民との混血も進んでいった。『長阿含経』に、学徳兼備のバラモンを評する「七世以来父母真正」という言葉があるが、これは先住民との混血が珍しくなかったことを示している。また、釈迦の時代には、それまで小規模な部族単位の都市国家しかなかったインドにコーサラ、マカダ、アヴァンティ、ヴァンサといった大国が生まれている。これにより、城壁や濠といった大国の都としての機能を備えたシラーヴァスティー(舎衛城)、ラージャグリハ(王舎城)、チャンパー(瞻波)、サーケータ(阿踰闍城)、コーサンビー(拘深城)、ヴァーラーナシー(波羅捺)、ヴァイシャーリー(毘舎離)などの大都市が建設され、それに伴い様々な新しい職種が生まれることになる。ヴァイシャーリーは、釈迦の弟子として伝えられている遊女アンバパーリー(アームラパーリー)が住んでいたことや、釈迦入滅後に行われた第二回結集の場所として知られているが、ここに住むリッチャヴィ族は様々な肌の色をしていたと伝えられている。これは、彼らが、それまでの人種による権威を問題にしていなかったことを表している。また、これまでクシャトリヤが担っていた軍事力も、徐々に傭兵によって構成されるようになった。
 この様な状況に対応するために、バラモンはブラフマンとアートマンによる新たな哲学的な思想によって、崩壊しかけた階級社会(カースト)を再構築しようとしたが、このことがかえって新興勢力の反発を呼び、多くの思想家(シラマナ、道の人、沙門)が生まれることになる。原始仏典には、バラモン以外の諸学説が六十二にも及んだと伝えられている(六十二見)。その中でも、釈迦に先んじて悟りを開いたとされる六人を六師外道と呼び、六師にそれぞれ十六人の弟子がいたとされることから、九十六種外道とも言われている。これらの思想は釈迦にも大きな影響を与えているばかりではなく、後の仏教にも多くの痕跡を残している。

1.プーラナ・カッサパ 道徳否定論者

 いかなることをしても、またなさしめようとも、生きものおよび人間〔の手足〕を切断しても、また切断させようとも、苦しめようとも、また苦しめさせようとも、悲しませようとも、また悩ませようとも、おののかせようとも、またおののくようにさせようとも、生命を害しようとも、盗みをなそうとも、他人の家に侵入しようとも、掠奪をなそうとも、強盗をなそうとも、追剥になろうとも、他人の妻と通じようとも、虚言を語ろうとも、このようなことをしても、罪悪を行ったことにはならない。たとえ剃刀のような鋭い刃のある武器をもってこの地上の生きものすべてをひとつの肉団・ひとつの肉塊となそうとも、これによって罪悪の生ずることなく、また悪い報いの来ることもない。たとえガンジス川の南岸に行って、生きものおよび人間を殺したり、害したり、〔他人の手足を〕切断したり、切断させたり、苦しめたり、苦しめさせようとも、これによって罪悪が生ずることなく、また罪悪の報いの来ることもない。たとえばガンジス川の北岸に行って、施しをしたり、感官の制御をしたり、自己の克服をしたり、真実を語ったりしても、これによって善の生ずることなく、また善の報いの来ることもない。(アジャータシャトル王との対話より)

 善悪の基準は人間が仮に定めたものでしかなく、そのような基準は真実においては存在しないという思想(空見、非業論)である。仏教はこのように世間的な道徳を否定している者を「虚無論者」と呼び排斥している。虚無論者の中でも、プーラナは善悪自体が存在しないのであるから、どのような業を行おうとも、それに伴う善悪の応報もありえないとしているところに特徴がある。我(アートマン)の存在は認めているものの、これはいかなる業によっても穢されることのない絶対的な不生不滅の存在であると説いている。現状を全肯定しているため、解脱や修行を一切説かない。「「人生最高の目的」という概念の「ニルヴァーナ(涅槃)」は、現在の自分の状態であるから、生活態度も変える必要が無い」というこのような思想を「現在ニルヴァーナ論」と呼ぶ。人間が苦しむのは、人間が作った善悪の価値観に縛られているところに原因があるというこのような道徳否定論は、現代にいたるまで繰り返し説かれている。
2.パクダ・カッチャーヤナ 集積論者

 七つの要素の集まりとは、なにであるか?すなわち、地の元素の集まり、水の元素の集まり、火の元素の集まり、風の元素の集まり、楽しみと、苦しみと、そして第七に霊魂(ジバ)とである。これら七つの要素の集まりは、作られたものではなく、〔命令されて〕作らされたものではない種類のものであり、創造されたものではなく、創造させられたものではなく(=創造者は存在しない)、なにものをも産み出ずることなく、山頂のように常住不動であり、石柱の〔堅固に〕立っているように安定している。それらは動揺せず、変化せず、たがいに他のものを妨げ悩ますことがない。いわんや、たがいに他のものを楽ならしめることもなく、苦ならしめることもなく、あるいは苦楽の両者ならしめることもない。〔したがって〕ここにおいては(世の中には)、殺す者なく、殺させる者なく、聞く者なく、聞かせる者なく、識る者もいないし、識らせる者もいない。たとえ鋭利な剣をもって頭を断ち切ろうとも、なんびともいかなる生命を奪うこともない。ただ七つの要素の集まりの間隙を剣刃が通って下りてゆくだけにすぎない。(アジャータシャトル王との対話より)

 この世界がいくつかの要素によって成り立っているという思想を、インドでは「集積説」というが、パグダはこのような論の先駆け的な存在である。道徳を否定する点や生命の永遠性を説いているという点でプーラナと同じである。また、人間のいかなる行為によっても本質的には世界は全く変化しないという点でも、現状を全て肯定しているといえる。
3.マッカリ・ゴーサーラ 決定論者 アージーヴィカ教

 ゴーサーラは、ジャイナ教の祖であるマハーヴィーラの下で六年間修行したが意見が合わず分かれ、その二年後に悟りを開き勝者(ジナ)となったとされる。ゴーサーラを祖とするアージーヴィカ教は、アショーカ王(紀元前三世紀)の時代には仏教、バラモン教、ジャイナ教と並ぶ勢力を持っていたが、十四世紀ごろに南インドのタミル人に信奉されていたのを最後に、現在は教団として存続していない。アージーヴィカとは「生活法」もしくは「命ある限り」という意味とされる。裸形托鉢教団であったこの教団の出家者は、裸での生活や乞食などの苦行や放浪が義務づけられていたため、生活の糧として占星術などの占いをしていた。
 ゴーサーラはジャイナ教や仏教から激しく非難され、邪悪な呪術師として記録されている。ジャイナ教ではゴーサーラはマハーヴィーラと激しい論戦の結果没したとされる。釈迦はゴーサーラの教えを最も危険で下等な教えであると断じ、仏典の『義足経上異学角飛経』では、ゴーサーラが仲間の五人の外道と共に神通力で釈迦に挑んだが敗れたとある。
 一方では、ゴーサーラのことを原始仏典に「彼は〔身をさいなむ〕苦行と〔悪を〕厭い離れることにより、自己をよく〔護り〕覆って、人々との争論をやめて、平等で、罪過から離れ、真実を語る人である。かれは、じつにそのような悪をなすことがない」とあることから、道徳を重視していたこともうかがわれる。仏典にはゴーサーラの教えが次の様に記されている。

 生ける者ども(衆生)には煩悩の汚れがあるが、それらには因もなく、縁もない。生ける者どもは、因もなく縁もなくして煩悩に汚されているのである。また生ける者どもが清められるについては、因もなく、縁もない。生ける者どもは、因もなく縁もなくして清まるのである。〔生ける者どもがいかなる状態になるにしても、すべて〕自分が作りだすということもなく、人が作りだすということもない。〔それらを作りだし運命を作り変えるための〕力は存在しないし、意志的行動は存在しないし、人間の勢力は存在しないし、人間の努力は存在しない。すべての生ける者ども、すべての生気ある者ども、すべての存在する者ども、すべての生命ある者どもは、みずから支配することもなく、力もなく、活力もなく、宿命と出会い(偶然性)と生来の素質(本性)に影響支配されて〔生存の〕六種類の生まれ(階級)のうちの〔いずれか〕において、苦楽を感受するのである。(アジャータシャトル王との対話より)

 ここにある「六種の生まれ」とは黒色・青色・赤色・緑色・白色・極白色という霊魂の色ことである。また、人生の段階として、愚鈍の階梯(生まれたばかりの幼児)・快感の階梯(笑ったり泣いたりする幼児)・考察の階段(つかまり立ちする幼児)・歩く段階・学習の段階・道の人となる段階・悟りを得て勝者となる段階・智慧の段階(最高の認識に達してなにごとも語らない)を説いている。すべてが運命(ニヤティ)という宇宙原理と偶然と素質によって決定しているので、そこに自分の意志にもとづく行為は存在せず、ただ単に自分の意志で行動していると思い込んでいるだけであるという思想である。自分が背負っている業を輪廻が尽きるまで「あたかも、糸毬が投げられると、〔まかれた糸がときほぐされて〕糸の終わるまで〔転がって行って〕、ついには解け終わるように、愚者も賢者も、流転し輪廻して、ついに未来に苦しみを取滅する」のを待つのみであるとしている。この論の中には「宿命論」と「偶然論」という二つの概念が混在している。仏教やジャイナ教はこの二つの概念を区別して論じているが、キリスト教の影響下にあったヨーロッパ哲学にはこのような論は存在していない。
 ゴーサーラは、生けるものを構成している要素として霊魂・地・水・火・風・虚空・得・失・苦・楽・生・死の十二種類を掲げている。この内、虚空は他の十一要素を成立させている場所である。また、得・失・苦・楽・生・死の六類は、これらの名で呼ばれる現象作用を可能ならしめる原理を実体化したものであるが、本来は「占い」の要素を示していたと思われる。また、ここにある霊魂は物体として把握されている。すべての動植物にもそれぞれ霊魂が存すると主張しているが、これは先住民の「物活論」と呼ばれる概念を哲学的に基礎づけたものである。すべてに自分の力の及ばないという思想であるから、修行によって解脱や悟を得るという発想はないが、先にあげた糸毬の譬喩にあるように、輪廻が尽きることによる解脱は考えていた。この場合の解脱とは、すべての業からの束縛が尽きて生存活動が完全に停止したことを意味する。このようなゴーサーラの教えに対して、仏教は次のように非難している。

 あらゆる糸で織られた衣のなかで、毛髪よりなる衣がもっとも粗悪なものであると説かれている。毛髪で織られた衣は、寒いときには冷え、暑いときには熱く、色が悪く香りが悪く、触れると不快である。そのように、ひろく修行者の議論が行われているなかで、マッカリの議論はもっとも粗悪なものであると説かれる。マッカリは暗愚な人である。
たとえば河口に網を敷設すると、多くの魚を損し、苦しめ、傷つけ、害するように、暗愚なる人マッカリは人間どもの網としてこの世に現われ、多くの人を損し、苦しめ、傷つけ、害するのである。

 一切の努力を否定するゴーサーラの教えでは、修行の意味がないかのように思われるが、実際には多くの苦行を行っていた。

 かれらはじつに裸形であり、〔坐して食することなど〕世間の習慣を捨てていて、〔立ったままで食し〕、食後には指を嘗めて清め、〔行乞の際に施食を受けるために〕近づくことと暫時待つこととを乞われても、それに従わず、〔行乞に出る前に〕持ってこられた施食を受けず、とくにかれみずからのために料理された食物を受けず、食事に招かれても応じない。かれらは〔食物を料理した〕釜鍋などから直接に食物を受けず、閾居よりも内部・杖の間・棒の間に置かれた食物を受けず、二人が食事をしているときにそのうち一人の提供する食物を受けず、妊娠している女・授乳している女・男と交わっている女からは食物を受けず、旱魃時には信徒が集めてくれた食物を受けず、犬が近くにいるところでは食物を受けず、蠅が群がっているところでは食物を受けず、魚・肉・種々なる酒を受けず、粥を飲まない。かれらは一軒の家で食物を得て〔すぐに托鉢から帰ってしまう〕「一口を食う者」である。あるいは二軒の家で食物を得て、二口食う者である。あるいは七軒の家で食物を得て七口食う者である。一つの小椀の食物のみによって暮らし、あるいは二つの小椀の食物によって暮らし、あるいは七つの小椀の食物によって暮らす。このように半月にいたるあいだでも〔中止期間をおいて〕順次に規定に従って食物を得ることに専念している。
 またあるときはきわめて美味なる食物を食し、きわめて壮麗な臥床に臥し、きわめて美味なる飲料を飲む。かれらはこのようにして身体を力づけ、ちからを増させ、肥らせる。

 ここには正反対のように思われる修行僧の様子が書かれている。自分の意志にもとづく行為は存在しないとするゴーサーラの教えからすると、戒律を守るのも破るのも自分の意志ではないことになる。初期仏教も様々な行為に対して戒律での規制を定めているが、仏教の場合、行為そのものよりも、心の内の動機が何であるのかを重視する(動機論)のに対して、仏教以外の他派は結果を重視している傾向にある。ゴーサーラの教えにもこの傾向がみられる。戒律を守り苦行をしていることも義務感からではなく、与えられたものとして享受していたのである。多くのアージーヴィカ教出家者が餓死によって最期を迎えたというのもこのような思想によるものである。
 ちなみに、この時代の出家者は様々な行を行っていたが、出家者であるという理由で、在家の人々から様々な布施を受けることが出来たようである。仏典には次の様な行が書かれている。

 かれはあるいは野菜を食い、あるいは野生の米を食い、硬米を食い、あるいはニーヴァ―ラ種子を食い、あるいは牛糞を食し、木の根や果実を食し、ひとりでに落ちた果実を食う。
 麻の衣をまとい、半麻の衣をまとい、屍からとられた衣をまとい、糞掃衣(棄てられたくずきれからつくられた衣)をまとい、ティリータ樹皮の衣をまとい、黒い羚羊の皮の衣をまとい、黒い羚羊の皮片を織った衣をまとい、吉祥草の衣をまとい、樹皮の衣をまとい、パラカ樹葉の衣をまとい、〔人間の〕毛髪よりなる衣をまとい、馬の尾の毛でつくった衣をまとい、梟の羽毛でつくった衣をまとう。
 かれは鬚髪を抜く者であり、鬚髪を抜く習慣につとめていて、〔椅子を使わないで〕つねに直立している者であり、座席をしりぞける者であり、踵で立つ者であり、踵で立つ習慣につとめていて、釘または刺の臥床に臥す者であり、釘または刺の臥床に臥すことをはかり、パラカ樹の板の臥床に臥すことをはかり、固い地面に臥すことをはかり、つねに左右いずれかひとつの脇で臥す者であり、身体に塵埃(じんあい)や泥土をつけていて、屋外に坐し臥す者であり、どのような座席を与えられてもこれを受ける者であり、塵にまみれた食物を食する者であり、腐った食物を食することにつとめ、飲む習性ある人であり、飲む習性ある人の得たものにこだわり、夕に三度水浴することにつとめている者である。

 これらの修行の内いくつかは現在も多くの行者によって行われており、修行を行うことで得られる布施によって食を得ている。






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