|徳法寺仏教入門講座1 インド仏教史|お講の予定

インド仏教史1

 

仏教以前1 バラモン教‐

- 2018年8月17日
1、ヴェーダ


 インド(インドという呼称はギリシャ人がインダス川の人と呼んだもので、自分たちのことはバーラタと呼ぶ)の古代宗教であるバラモン教はヴェーダと呼ばれる聖典によって成り立っている。ヴェーダとは知識を意味する言葉で、次の四つがある。

①『リグ・ヴェーダ』 リグとは讃歌(マントラ)のこと。神々に対する讃歌の集成。1,017の讃歌と、11の補遺からなる。本編は紀元前1200~1000年に作成され、紀元前1000~800年頃に現在の形に編纂された。
②『サーマ・ヴェーダ』 旋律歌詠の集成。聖歌のほとんどは『リグ・ヴェーダ』から採ったもの。
③『ヤジュル・ヴェーダ』 祭詞の集成。内容は『リグ・ヴェーダ』とほぼ同じ。
④『アタルヴァ・ヴェーダ』 攘災・呪詛などの呪法に関する句を集成。

 それぞれのヴェーダは、次の四つによって成り立っている。
①本集
②ブラーフマナ 祭儀書。祭祀を実行する場合の順序・方法・讃歌・祭祀の用途の規定。讃歌・祭祀の意義や語源、祭祀の起源、神話、伝説、秘儀
③アーラニヤカ 森林書。森林の中で伝授されるべき秘儀という意味。祭式に関する説明とその哲学的な問題。
④ウパニシャッド 奥義書。ヴェーダーンタ(ヴェーダの終わり)ともいう。宇宙・人生・呪句・祭祀に関する秘密の教えや哲学

『リグ・ヴェーダ』以外の本編は紀元前1000~500年頃に作成された。ブラーフマナ、アーラニヤカ、ウパニシャッドの順で作られ、ウパニシャッドは現代でも作り続けられている。
 これ以外に、第五のヴェーダといわれるプラーナ(古き物語。神話・伝説、讃歌、祭式、斎戒儀礼、巡礼地の縁起、祖霊祭、神殿・神像の建立法、哲学思想、医学、音楽)がある。これは、吟遊詩人などの職業的語り部集団によって伝承されたもので、ヴェーダを学ぶことが許されていなかった女性やシュードラ階級の為の聖典とされた。

2、『リグ・ヴェーダ』


 紀元前十三世紀頃、北方からアーリア人がインドに侵入し、先住民族であるムンダ人(褐色・短身・低鼻。オーストロ・アジア語族(ベトナム語、クメール語、モン語など)。南アジアには、他にシナ・チベット語族、タイ・カダイ語族がある)、ドラヴィダ人(褐色・平鼻。ドラヴィダ語族。インダス文明の部族)を支配した。現在カーストと呼ばれている身分制度は、インドではヴァルナと呼ばれ、、これは「色」という意味で、支配する側とされる側の肌の色に起因している。
 この頃のカーストは最上位である司祭階級バラモン(ブラーフマナ、ブラフミン)と王族階級クシャトリヤ、庶民階級ヴァイシャ、奴隷階級シュードラという四姓制であった。これに属さない階級外のチャンダーラ(屠殺業。旃陀羅。一闡提(イッチャンティカ)とは違う)やプックサ(汚物清掃員)という階級もある。『リグ・ヴェーダ』初期には被支配民族がいなかったため、三階級しかなかったが、徐々に階級区分が明確になっていった。
 マヌ法典(紀元前後に成立。カースト制度を確立させた)には、各階級に次の様な義務が課してある。

①バラモン ヴェーダの教授・ヴェーダの学習・自分のために祭祀を行うこと・施与・布施を受け取ること
②クシャトリヤ 人民を保護すること・施与・ヴェーダの学習・感覚器官の諸対象に執着しないこと
③ヴァイシャ 家畜を保護すること・施与・自分のために祭祀を行うこと・商業・金貸業・耕作
④シュードラ 三つの階級に対して不平を言わずに奉仕すること

 カーストは名字によって決まっているため、隠すことが出来ない。名字はそのまま職業とも結びついており、結婚も同じカースト同士でしかできない。他のカーストとは食事や寝室を一つにすることもできず、手を洗う水も分ける必要がある。最初数種類だったカーストは時代とともに細分化され、現在は二千とも三千とも言われている。
 『リグ・ヴェーダ」にはゾロアスター教の聖典『アヴェスター』との類似点が多い。基本は 祖霊崇拝と天界の神々への崇拝。自然崇拝の対象は空・太陽・月・曙・火・風・水・雷鳴など。神は天空にあり明るく輝くものという意味で、天の神ディヤウスはラテン語のデウスと語源が同じ。紀元前600年ごろ、ゾロアスター教は宗教改革でアフラ・マズダの一神教となり、インドの神々(デヴァ(デヴィ))は悪魔となる。逆にインドではアフラ・マズダがアスラとなり悪魔となった。
 『リグ・ヴェーダ』の神話は先住民との戦闘の物語も説かれている。登場する主な神々は次の通り。

①雷鳴の神インドラ(帝釈天)
②火の神アグニ(アンギラス)
③太陽の神スーリヤ
④太陽神ミトラ
⑤天神ディアウス(大空・虚空・昼)
⑥地の神プリティヴィー
⑦暴風の神ルドラ
⑧風神ヴァーユ
⑨雨神パルジャニヤ
⑩水の神アーパス
⑪湖沼の神サラズヴァティー(日本の弁才天)
⑫天空の神ヴァルナ(水を支配する天空。律法神。水天宮)
⑬神酒の神ソーマ

 これらの神々は、輪廻思想以前に成立しているので不死(amrta、甘露、英語のネクター)。拝火教的なホーマ(献供え、護摩)が行われ、バラモンはヴェーダを暗唱したが、紀元前500年ごろにはすでに意味が分からなくなっていた。求めたものは、現世の利益(神の加護。現世の幸せ。よきもの)。神に対する礼拝をナマス(屈する。南無・帰命・頂礼)と言い、これは現代も同じ。内容の一例は以下の通り。

 不死なる「神々」が、かれのために道をつくってくれたところで、かれは飛翔する鷹のように道にしたがって行く。太陽が昇ったときに、われらは、汝ら二人に、敬礼をもって持し、また供物を捧げることにしよう。ミトラ・ヴァルナの神よ。さあ、ミトラ神、ヴァルナ神、アリヤマン神は、われら自身のために、また子孫のために、ひろき場所を授けて下さい。われらにとってあらゆる道が行きやすく、旅しやすいものであってください。あなた方はつねに幸運によってわれらを守ってください。(スーリヤ讃歌)

 最初の人間ヤマが、双子の妹ヤミーとの間に人類を産み、最初の死者となったヤマが、天上界に死者の国を作ったとされる。この世界に生まれ変わるという輪廻思想はほとんど無く、苦からの解脱という思想もない。
 宇宙創造神話として、ヒラニヤガルバ(黄金の胎児)、ブラフマナスパティ(神聖な言葉(ブラフマン)を司る神)、ヴィシヴァカルマン(すべてがそれのはたらきである者)、原人、苦行(宇宙の法と真実とは、燃え立つ苦行から生じた。波立つ大海から歳が生まれた)、有にあらず無にあらざるもの、ことば、等が説かれている。
 『アタルヴァ・ヴェーダ』は危害や病気から脱することを求めた讃歌が多く、呪術書として後のヒンズー教や密教に影響を与えた。

 
3、ブラーフマナの思想


 祭式の説明書で、紀元前900~500年に成立。祭式によって神々を駆使する力がブラフマンで、ブラフマンを持つ者がバラモン(武勇の力(クシャトラ)を持つ者がクシャトリヤ)となるが、これは世襲による能力とされた。
 呪力は物体として表象された。神の人格よりも神を駆使することに力点が置かれ、神と人間の境が曖昧になってきた。聖典の通りに祭祀や呪法を行うことにより神を駆使することができるとされたため、心の内面は問題とはならなかった。
 それまでの神々に変わり、新たな主要神としてプラジャーパティ(子孫の主)、ヴィシュヌ、シヴァ(ルドラ)が重要視され、アスラが神々の敵となる。プラジャーパティの宇宙創造神話は次の通り。

 まず宇宙創造以前においては、宇宙はただの水のみであった。その大水は増殖しようとの欲望を起こし、熱の力によって黄金の卵を生じた。この卵は一年間浮動していたが、一年経過した後にこの卵のなかからプラジャーパティが生まれた。さらに一年経過したところが、かれはブール、ブヴァス、スヴァルという三語を発した。するとこの三語はそれぞれ地、空、天となった。さらに一年経過してから、プラジャーパティは立ち上がった。その後、かれは子孫を増殖しようと欲し、ついに神々を生んだ。神々は光輝あるによって神性を得た。またかれはアスラを創造したが、そのために暗黒が生じ悪を作り出したことになったので、プラジャーパティは暗黒をもってアスラたちを貫いて、悪を克服した。なおかれは神々およびアスラを創造した後に、光明から昼を、暗黒から夜をつくり出したので、昼夜の別がおこったという。

 次第にプラジャーパティが原理化していったために、代わりにブラフマンが主役となる。
 それらの「八つの音節」はプラジャーパティに捧げられたものである。プラジャーパティはじつにブラフマンである。なんとなればプラジャーパティはブラフマンの性質のあるものだからである。
 ブラフマンは、万有の根底に存する霊力霊体の名称へと意味が変化し、ここからブラフマー(梵天、中性的なブラフマンの男性形)が生まれた。

4、ウパニシャッド哲学


 ウパニシャッドを聖典とするヴェーダーンタ学派は現在でもインド最大の哲学学派で、タゴールをはじめ多くの思想家に影響を与えている。インド以外でも、イスラームのスーフィー教徒や、ショーペンハウアー、、クラウゼなど多数の思想家に影響を与えている。
 聖音とされる「オーム」は、ヴェーダ祭儀で祈祷の文を続けて唱える場合に使われていた。仏教やジャイナ教の一部にもこれが浸透し、仏教の漢訳では「唵」という字が当てられている。ウパニシャッドでは、オームは絶対者のシンボルとなり、全世界そのものとなる。全ヴェーダの神髄と見なされたオームは、絶対者ブラフマンとなり、人はそれを知った時、そのものに帰入するとされる。特にヴェーダーンタ学派では絶対者と同一視されている。ヴェーダでは、初期に太陽や水を万物の根源としてとらえていたが、それが虚空や風、息(生気)、食物、火、数などに発展。それが「ブラフマン」という超越者であるとともに現象世界そのものという理解に変わる。
 「アートマン」は、元来「息、呼吸」のこと(ドイツ語のアートメン。『リグ・ヴェーダ』では風はヴァルナ神のアートマンであると説いている)。これが、ブラーフマナでは生命を授ける実態となり、サンスクリット古典では自身、自己となる(心ではない)。息をすることと意識することの区別が、霊魂と肉体の区別(アートマン(我)、マナス(意)、プラーナ(息))につながり、アートマンの探求がインド哲学の中心課題となる。ウパニシャッドでは「アートマンはブラフマンであり、一切の命にゆきわたっている者」となった。

①『カウシータキ・ウパニシャッド』
梵天の世界は天のかなたにあり、そこには五百人の天女がいる。梵天は美麗な宮殿に住み「無量の光輝」(アミタウジャス。阿弥陀は無量光(アミターバ)と無量寿(アミターユス))と名乗る座に坐している。ブラフマンの明知を得た人は、死後そこに到達し、梵天とその座をともにするにいたるという
このウパニシャッドでは、人がこの世で死ぬと一旦月の世界に行き、その後梵天の世界に至るとされている。次の、梵天とそこに生まれてきた者との会話からは、梵天と人間の関係性が窺われる。
梵天「汝は誰であるか」
人 「わたくしは季節であります。わたくしは季節に属する者であります。わたくしは母胎としての虚空から生まれました。女性に対する精子として生まれました。歳の光熱であります。わたくしはそれぞれの生存者のアートマンであります。あなたもまたそれぞれの生存者のアートマンであります。「あなた」というものは、すなわち「わたくし」なのであります。」
梵天「私は誰なのだ」
人 「あなたは実在なのです」
梵天「その実在なるものは何なのか」
人 「神々と五感の外のものは、有であります。しかし、神々と五感とは彼有であります。この一切のことが実在という語によって表されているのです。この全世界は、このように広大なのです。あなたはこの全世界なのです」

②『イ―シャー・ウパニシャッド』 
 短編であるが非常に哲学的なウパニシャッド。ネパールが近代国家を建設した時の精神的支柱となっている。
 唯一にして不動なるものは、意よりもすみやかである。神々も、その前を走っているブラフマンを捉えることは出来ない。それはじっと止まって立っているが、走っている者どもを追い越す。・・・それは動き、それは動かない。それは遠くにあり、それは近くにある。それは一切のものの内にあり、またそれは一切のものの外にある。しかるに一切の生ける者どもを自己のうちに認め、また一切の生けるものどものうちに自己(アートマン)を見出すならば、嫌悪して避けることが無い。無知を崇拝する者どもは、盲目なる闇黒に陥る。しかるに知識を楽しむ者どもは、いわば、それ以上の闇黒に陥る。知と無知と、この両者をともに知る者は、無知によって死をわたり、知によって不死に達する。不生起を崇拝する者どもは、盲目なる闇黒に陥る。しかるに生起を楽しむ者どもは、いわば、それ以上の闇黒に陥る。
 
③『プラシナ・ウパニシャッド』 
 海に向かって流れていくこれらの河川は、海に到達すると消え失せてしまう。かれらの名称と形態とは破られて、ただ「海」とだけ呼ばれる。それと同様にすべての人々はプルシャ(原人)にむかって流れ、プルシャに到達すると消え失せてしまって、かれらの名称も形態も破られて、ただ「人」とのみ呼ばれる。かれらは、分かたれることなく不死となる。

 これは仏教の最古の経典『スッタニパータ』の一部に酷似している。

5、死に対する認識


 初期インドでは、死後息子の中に生まれ変わると思われていたが、先住民の思想の中に、死後、樹木や獣の中に生まれ変わるという輪廻につながるものがあった(サンタル族。善人は死後果実のなる樹の中に生まれる)。それらの思想が融合し、最初の人間とされる死者世界の王ヤマの世界には、善行を積んだ者が生まれるとされた。これが、後期のブラーフマナでは、法規に従い祭式を実行した者はアグニや梵天と同じ世界に生まれると説くものや、ほとんどの祖霊はヤマのいる天界国に生まれるが、最も敬虔なるものだけは星となると説くものが現れる。更に、天界に生まれたものはやがて天界でも死を迎え、後に現世に帰って来るという考え方も現れ始める。地獄も『アタルヴァ・ヴェーダ』に妖鬼女・女魔法使いの国で暗闇に閉ざされていると説かれているが、後期ブラーフマナでは更に詳細に語られるようになる。ウパニシャッドでは、人は死後月の世界におもむき、ある者はそこから梵天の世界に達する(神道)が、他の者は月にとどまり、善行の果報が尽きてからこの世に降下して再びこの世界に生まれ(祖道)、この両道に入りえない悪人は虫けらとなる、という輪廻につながる思想が生まれ始める。バラモン法典でも、善人は最初に天界において現世における善行の果報を享受し、それから地上に降下して再生するが、悪人は地獄で責苦を受けた後にこの世において劣悪な境遇に生まれると説かれ始める。また、別のウパニシャッドでは、
 叡智ある者(アートマン)は生まれず、また死なない。これはなにものからも生ぜず、またなにものともならない。これは不生、常住、常恒、悠久であり、身体が殺されても、殺されることはない。もし殺す者が「殺してやろう」と思っても、また殺された者が「私は殺された」と思っても、両者ともに真相を知らないのである。これは殺しもしないし、殺されもしない。
 というアートマンの永遠性が説かれている。しかし、まだ業の思想が整理されておらず、輪廻の主体となるものについても明確にはなっていない。







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