|インド仏教史|仏教入門講座
インド仏教史11
大乗仏教の思想的展開
- 2014年7月10日

1、空の思想  ― 中観思想 ―


 空は最も初期の大乗経典群である般若経典群を作成した出家者集団によって説かれた思想で、その代表が龍樹(150~250年頃)です。龍樹は親鸞聖人が八高僧の最初にあげておられますが、八宗の祖とも言われ、日本のすべての仏教教団が讃えている大乗仏教の祖ともいえる僧です。空を説く仏教を中観派仏教と呼びます。龍樹はその主著である『中論』で「空」を次のように定義しています。
 「多くの因縁によって成り立っているものを「空」と説きます。何故なら、多くの因縁が備わり合わさってすべてのものは成り立っているからです。すべてのものは因縁によって成り立っていますから、一つ一つの因縁から切り離して考えることはできません。ですから、すべてのものは因縁によって成り立っていると言ってもよいのです。因縁で成り立っているに過ぎないものに特定の性質はありえませんから、すべてのものにはそれ自体の実態は無いことになります(無自性)。このことを「空」といいます。ここで「空」という言葉を使うのは、あくまでも分かりやすくするためです。多くの因縁によって成り立っているものは有るとも無いともいえません。これを中道と名付けます。すべてのものは本質的な性質を持ってはいないので、有とも無とも言えません。もし、すべてのものに本質的な性質があるのならば、因縁がなくても成り立つのでしょうが、すべてのものは因縁によって成り立っていますから「空」でないものは無いのです。」
 ここで龍樹が、すべてのものが因縁によって成り立っているとする思想を「縁起」と呼びます。これは釈迦の説いた「十二支縁起」とは異なり、すべてのものは縁によって成り立っているという思想です。

2、唯識 と如来蔵  - 唯心論と仏性論 -


 大乗仏教は「空」の思想によって部派仏教やバラモン教、六師外道などの思想と対峙してきましたが、特にバラモン教の思想発展は目覚ましく、大乗仏教側もそれに対抗するために更なる理論が必要となってきました。それが3世紀から4世紀頃に生まれた唯識思想と如来蔵思想です。
 唯識説を主張したのは瑜迦行派と呼ばれる禅定修行に特化した出家者の学派です。その代表が弥勒と無着・天親(300年~400年頃)の兄弟です。天親は親鸞聖人が七高僧の二番目にあげている方です。唯識は、私たちが感じている世界は、すべて意識があると認識しているものにすぎず、自分があると思っているような実体としては存在しないと説きます(唯識無境)。意識は八つに分けられています。眼・耳・鼻・舌・身・意の表面的な六識と、その六識を受け止める煩悩であり自我意識である末那識、さらにその下にある過去のすべての経験(業)が蓄えられている阿頼耶識です。そして、この唯識の悟りは空を超えたものであり、この境地にいたって初めて円成実性と呼ばれる清らかな悟りの心が実現されると説いています。この唯識論は禅に深い影響を与えています。
 もう一つの如来蔵思想とは、すべての衆生には仏性という悟りの可能性が備わっていると説く教えです。如来蔵自体は本質的に清浄ですが、この世界においては煩悩におおわれていると説明されています。この思想は、『涅槃経』の「一切衆生悉有仏性」という言葉が発展したものと考えられ『如来蔵経』や『勝鬘経』などで詳しく展開されています。


3、浄土思想


 大乗仏教では、理想的な仏を想定して、その仏と仏によってもたらされる世界である浄土を観察し念じる観仏三昧が広く行われるようになりました。強く願い念じることによって、煩悩を除き空の悟りを自分と重ね合わせようとするものです。多くの仏が生まれ、その数だけ浄土が説かれましたが、その中でもっとも大久説かれたのが阿弥陀仏とその浄土である極楽浄土でした。もっとも、インドでは阿弥陀如来に対する信仰はほとんど広がらなかったようで、長い間、弥勒仏や観音菩薩の仏像は多く発見されているのに、阿弥陀如来の仏像がひとつも確認されていませんでした。一九七七年にようやく「アミターバ」と刻まれたクシャーナ時代の仏像が一つ見つかったにすぎません。これが、中央アジアに仏教が広がると、阿弥陀如来は一気に主要な仏になります。しかし、ここで行われた念仏は、心に仏を念じ思い浮かべるという観想念仏で、親鸞聖人が聴き当てた南無阿弥陀仏を称えるという称名念仏ではありません。『観無量寿経』には阿弥陀如来と極楽浄土を観察する方法が事細かに書かれています。これはかなりの精神力が必要とされる行で、とても一般の者に出来るようなものではありません。称名念仏が生まれるのは、この後仏教が中国に伝わってからのことになります。

4、密教


 釈迦の頃の仏教では呪文や呪術を否定していたようですが、部派仏教の頃には様々な呪文が用いられていました。例えば、歯の痛みを取る呪文や蛇にかまれないための呪文、安産を願う呪文などです。バラモン教ではこのように言葉(マントラ、真言)によって災いを除いたり、福を呼びよせるということが盛んに行われていましたので、仏教もその影響を受けていたようです。ただしそれは体系化されたものではなく、教義の中に少し混ざっている程度のものでした。
 しかしヒンドゥー教が優勢になってくると、その呪術的な所を取り入れることによって生き残りを図ります。これが密教です。多くの密教経典がつくられますが、その特徴はそれまでの経典がたとえ浄土経典であっても、釈迦が弟子たちに阿弥陀如来を説くという形をとっていたのに対し、密教経典では大日如来が教えを説くようになり、釈迦が経典から消えてしまいます。また経典に登場する仏・菩薩の数も飛躍的に多くなり、その関係性を表すための曼荼羅がつくられるようになります。神秘主義的な教えによって民衆の支持を得ようとしますが、基本的には仏教の思想を保ちながら、ヒンドゥー教的な要素を加えていったため、教えは複雑なものになっていき、結果的にはかえって民衆に理解しにくい教えになってしまいました。そこで、ヒンドゥー教に対しての優位性をわかりやすく説くために、人気の高い神であるシヴァを倒す降三世明王や、ガネーシャを踏みつぶすマハーカーラ(大黒天)などの密教独特の神をつくりだしていきます。
 理論的な仏教よりも宗教性が高い密教は、中央アジアから中国にまで広がっていきます。しかし、密教も後期になると、ヒンドゥー教で多くみられる男女の神の結合像なども広くとりいれられていきます。たとえば、方便を男尊、智慧を女尊として、この二人が交わる歓喜仏などが登場します。さらには、男女の交わりそのものが行の実践であるとする教えも生れます。これは日本の密教にまで影響を与えますが、多くの仏教徒から反発を受けてしまい、中国では密教は姿を消してしまいます。
 現在はチベット仏教と日本の天台密教・真言密教がその流れを伝えていますが、これはインド発祥の密教が更に各地の習俗と交わり独自に発展したものです。






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