|インド仏教史|仏教入門講座
インド仏教史5
釈迦の歩み1 - 伝説に包まれた初転法輪まで -
- 2014年1月3日

1、 幼少期の釈迦>


1) 誕生

 母のマーヤー夫人が、出産のために実家のコーリャ国に帰る途中、ルンビニーという村の花園で休憩をとっていました。湖畔を散策中に、真っ赤に咲いたアショーカの花を採ろうと手を伸ばしたときに、右脇から男の子が零れるように生まれ落ちました。これが釈迦誕生であるといわれます。です。生れた釈迦は、蓮の花に受け止められ、そのまま四方に向かって、それぞれ七歩ゆっくりと歩きました。右手を上げて天を指差し、左手を下ろして地を指差して「天井天下、唯我独尊」と宣言したといわれます。
 初期の経典では脇の下から生まれたという記述はありません。立ったまま出産し、これを四大王天が受け止めたとあります。脇の下というのは、後にバラモン教の影響を受けて生まれた話のようです。左右の手の指で天地を指すというのも、後世になって付け加えられたものです。

2) 仙人の予言

 この時ヒマラヤで修行していたアシタ仙人は、天の神々が地上に仏陀が生まれたと歓喜しているのを聞き、急いで釈迦国に出向きました。そこで生まれたばかりの釈迦を抱き「この子は三十歳まで在家であれば理想的な帝王(転輪聖王)に、それまでに出家すれば仏陀となるでしょう」と父であるシュッドーダナ(浄飯)王に告げました。

3) 最初の禅定

 釈迦が12歳の春、稲作が行われていた釈迦国では、毎年その年の豊作を願う農耕祭りが例年通りに行われていました。祭りの後、農夫の代表が牛に鋤をつけて田を耕し始めます。この時、掘り起こされた土から虫が出てきました。すると小鳥がやってきてこの虫を咥えて飛び立ちます。更にこの小鳥を、上空で獲物を探していた大きな鳥が捕まえて行ってしまいました。ほんの一瞬の出来事でしたが、これを見た釈迦は「あわれ、生き物は互いに食み合う」と告げると、近くにあったニグローダの樹の下で生まれて初めての禅定に入ったのです。

2、 釈迦の出家>


1) 四門出遊―沙門との出会い

 ある時、釈迦が居城であるカピラ城の東門から出ると老人に会い、いずれ避けられない老いという現実を見せられて城の中に戻ってしまいます。次に南門より出ると病人に会い、いつ訪れるかもしれない病という現実を知らされ城に戻ってしまいます。気を取り直して西門を出ると今度は死者に会い、ついには生きること自体が苦でしかないと知らされました。最後に北門から出ると、そこで一人の沙門に出会い、自らもいずれ沙門になろうと決めたといいます。
 このように、4つの門によって釈迦出家の動機付けがされたのは後世になってからですが、老病死に対する記述は初期から多くみられます。この他に出家の原因として、美女たちのあられもない寝姿に幻滅したためとも言われています。

2) 出家

 二十九歳になってもヤショーダラー夫人との間になかなか子宝に恵まれなかった釈迦ですが、父のシュッドーダナ王から「跡取りができない限りは出家を認めない」といわれていました。あとひと月で三十歳になるというその時、釈迦が后を指差すとたちまち懐妊し、しかも産み月になったのです。そして生まれたのが、後に釈迦の弟子となるラーフラです。そして二十九歳の十二月八日夜半に王宮を抜け出て出家をします。まずバッカバ仙人を訪れますが、死後に天に生まれ変わることを目標としていたので、これでは苦を逃れることができないと次の師を求めました。
 次にアーラーラ・カーラーマを訪れ、空無辺処(無所有処)の境地を得ます。師は釈迦が自分と同じ境地を得たことを知ると、自分の弟子の三百人を共に率いていくことを要請しましたが、まだ悟りを得ていないとこれを断ります。
 次にウッダカ・ラーマ・プッタを訪れますが、ここでも非想非非想処の境地を得るだけで、これが真の悟りを得る道ではないことを知り辞して、自力での修行に入ります。

3) 五比丘との修行

 ウルヴェーラの林へ入ると、父のシュッドーダナ王は釈迦の警護も兼ねて五比丘といわれる五人の沙門(アンニャ-タ・コンダンヤ、バッディヤ、ウバッパ、マハーナーマ、アッサジ)を同行させます。そして出家して六年(又は七年)の間苦行を積みますが、心身を極度に消耗するのみで老病死の苦を解決することはできないと見切りをつけて苦行を捨てます。その時、五比丘たちは釈迦が苦行に耐えられず修行を放棄したと思い、釈迦を残してサルナート(鹿野苑)へ立ち去りました。

4) 成道

 そこで釈迦は河で沐浴した後、村娘スジャータの乳糜の布施を受け、苦行によって消耗した体力を回復させると、ガヤー村のピッパラの樹(後の菩提樹)の下に行き「今、悟りを得られなければ生きてこの座をたたない」という決意で禅定に入ります。すると、釈迦の禅定を乱そうと天魔たちが現れました。愛と死の神マーラ・パーピーヤス(天魔波旬、魔羅)の伝説もここに登場します。古い経典では、この悪魔を欲望、嫌悪、飢渇、妄執、ものうさと睡眠、恐怖、疑惑、みせかけと強情、名利と名声と尊敬と名誉、自己をほめたたて他人を軽蔑すること、の十種をあげています。これらを退けて釈迦は悟りを得ました。これを「成道」といいます。成道の日については、四月八日、二月八日、二月十五日、十二月八日など諸説があります。これ以降、ガヤー村は、釈迦が仏陀になった場所としてブッダガヤと呼ばれるようになりました。
 七日の間釈迦はそこに座わったまま動かずに悟りの楽しみを味わい、さらに縁起や十二因縁の法を悟ったといいます。守護竜王ムチャリンダの伝説はここで登場します。しかし、この悟りの内容を世間の人々に伝えるべきかどうかを、その後二十八日の間迷った結果「この法を説いても世間の人々は悟りの境地を知ることはできないだろうし、了解することはできないだろう。語ったところで徒労に終わるだけだろう」との結論に至ります。 ところが梵天が現れて衆生に説くよう繰り返し強く要請します(梵天勧請)。三度にわたり勧請された末に、釈迦を見捨てた五比丘に悟りの境地を説くために、サルナートへ向かいました。

5) 初転法輪

 そこで釈迦はて五比丘にその方法論、四諦八正道を実践的に説きました。これを初転法輪と呼びます。当初、五比丘は釈迦を苦行に失敗した者として蔑んでいましたが、説法を聞くうちコンダンニャがすぐに悟りを得、釈迦は喜んだ。この時初めて、釈迦は如来という語を使います。これは「真理の世界から来た者」「真理に向かって歩む者」という意味です。それは、現実のありのままの姿を観じていく事でもあります。この五比丘が五頭の鹿であったとも言われています。
 初転法輪を終わって「世に六阿羅漢あり。その一人は自分である」と言い、ともに同じ悟りを得た者として五比丘を認めます。次いでバーラーナシーの長者の息子であるヤシャス(耶舎)に対して正しい因果の法を説法し、彼の家族や友人など五十人以上が弟子入りしたといいます。(以上)






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