|インド仏教史|仏教入門講座
インド仏教史1
釈迦族の歴史
- 2013年12月2日

1.釈迦とは?

 
 お釈迦さまといいますが、本名はシャーキャ族の王の息子でゴータマ・シッダッタ( ガウタマ・シッダールタ)と伝えられています。シャーキャ族の聖者を意味するシャーキャ・ムニが釈迦牟尼となりました。実在の人物であることが疑われたこともありましたが、1868年にイギリスの考古学者フェラーがネパール南部のバダリア(現在のルンビニー)で発見した遺跡に「アショーカ王(紀元前3世紀)が即位後20年を経て、自らここに来て祭りを行った。ここでブッダ釈迦牟尼が誕生されたからである」と刻まれていたことから、釈迦の実在が史上初めて証明され、同時にここが生誕の地であることも判明しました。



2、釈迦族の歴史


 釈迦族は、隣国の大国であるコーサラ国と同じくインドの古代神話が書かれたヴェーダ聖典に登場する伝説の英雄イクシュヴァーク(オッカーカ)王の末裔を自称しています。この王は、話しをするとその口からたいまつの光のような光線が射したと言われています。この王には妻と4人の王子と5人の王女がいましたが、妻に先立たれた後に向かえた後妻との間に王子が生まれると、先妻の9人の子供たちを国から追放してしまいます。追放された王子たちはヒマラヤ地方に落ち延び、カピラ・ゴータマ仙人に教えを請いました。その仙人に示された土地に居を構えますが、そこがシャーカ樹の森であったために、シャーキャ族といわれるようになります。仙人の名にちなんで、ゴータマという姓を名乗り、彼らの造った町にカピラヴァストゥと名付けます。彼らは血統の正しさを守るために兄弟同士で結婚し4組の夫婦になります。一番上の姉だけは結婚せずに母親代わりとなったといいます。この4組の夫婦からシャーキャ王朝が生まれたとされます。9人の子供を追い出した国がコーサラ国になります。シャーキャ族はコーサラ国の属国として続いていました。
 釈迦の父の名前はシュッドーダナといい「清らかな米飯」という意味です。3人の弟たちの名前にも皆、飯という字が付いていることから、この国では稲作がおこなわれていたくとが伺われます。稲作が行われろということは、豊富な水と温暖な気候に恵まれていたことを意味します。国とはいっても石川県ぐらいの面積ですから決して大きくはありませんが、経典に「繁栄と大いなる快楽とに恵まれた種族」と書かれていることからも、豊かな生活と高い文化レベルを誇っていたようです。非常に誇り高い種族でもあったようで「シャカ族の自尊」という言葉もあります。



3、釈迦の出生


 釈迦の正確な生年は今でも不明ですが、大きく紀元前624年説、紀元前566年(、紀元前466年があります。シャーキャ族長の息子として生まれたといわれますが、シャーキャ族は専制王を持たず、サンガと呼ばれる一種の共和制をとっていたようです。ですから釈迦の父も王というよりは議長というほうが正確かもしれません。当時の二大強国であるマガタとコーサラという国にはさまれた小国でしたが、家柄は高くラージャ(王)とよばれる名門でした。釈迦の母は同じ釈迦族の流れを組むコーリヤという部族の娘でマーヤーといいます。釈迦の本名であるガウタマ・シッダールタのガウタマは「最上の牛」、シッダールタは「目的を達したもの」という意味です。母であるマーヤーが出産のために実家に帰る途中で産気づき、ルンビニの花園で休んだ時に誕生したとされます。生後一週間で母のマーヤーは亡くなり、その後は母の妹、マハープラジャパティーによって育てられます。当時は姉妹婚の風習があったことから、マーヤーもマハープラジャパティーもシュッドーダナの妃だったと思われます。
 釈迦は王の息子として二つの専用宮殿や贅沢な衣服・世話係・教師などを与えられ、王族としての教養と体力を身につけたとされます。16歳で母方の従妹のヤショーダラーと結婚し、一人息子のラーフラが生まれます。ただし、資料によっては、他に マノーダラー、ゴーピカー、ムリガジャーなど、複数の妃がいたとするものもあり、それらの妃との間にスナカッタやウパヴァーナのどの子供がいたともかかれていますが、何しろ古い話なのでなんともいえません。




4、釈迦族の末路


 釈迦が出家した後、釈迦の従兄であるマハーナーマが族長になりました。この時、宗主国であるコーサラから妃をシャーキャ族から迎えたいという話が来ましたが、彼は宗主国であるコーサラ国を見下していたので、宮廷の下婢であった内妃ナーガムンダとの間に生まれた娘ヴァーサバカッティヤーを本物の王女と偽り、コーサラの王に嫁がせます。ヴァーサバカッティヤーはヴィルーダカという王子をもうけますが、王子が16歳の時、母の実家に帰ったときにこの事実が露見してしまいます。16歳で父から王位を奪った王子はシャーキャ族を滅ぼすために3度軍隊を送りますが、その度に釈迦が説得して思いとどまらせました。しかし4度目の進軍の時、シャーキャ族が川に毒を混ぜてコーサラ国の軍隊を撃退しようとしたのを見た釈迦は調停を思いとどまり、シャーキャ族の国は滅ぼされます。わずかに生き残ったシャーキャ族は各地に四散しました。ネパール、インドはもちろんバングラディシュやパキスタン、アフガニスタン、トルキスタンにまで広がったという説もありますが、確たる証拠はありません。(以上)






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