|インド仏教史|仏教入門講座
インド仏教史2
仏教以前のインドの宗教 ―バラモン教―
- 2013年12月2日

1、バラモン教とは?


 バラモン教は古代インドの宗教で、ヴェーダと呼ばれる聖典によって成り立っています。バラモン教という名前はヨーロッパ人がつけた名前で、四世紀以降に再編成されたものをヒンドゥー教と呼び区別しています。バラモンとは四姓制という古代インドから伝わる階級制度(カースト制度)の最上位にあたる司祭階級を指します。正しくはブラーフマナといい、宇宙の根本原理とされるブラフマン(梵天)に近い存在という意味です。バラモンの下には、クシャトリヤ(戦士・王族階級)、ヴァイシャ(庶民階級)、シュードラ(奴隷階級)という三つの姓があり、これに属さない者は階級外のパンチャマ(不可触賤民)とされます。カーストは生まれた家の姓によって決まっており、生涯変わることはありません。カーストはそのまま職業とも結びついていますから、職業も自分の意思で変えることができません。これは江戸時代、日本にあった士・農・工・商・穢多・非人という身分制度と似ています。また、異なるカーストの間で結婚することができないということも同じです。この身分階級は現在も伝えられていますが、都市部では希薄になってきています。

2、バラモン教の起源とその教え


 元々は、紀元前十三世紀頃、北方からアーリア人がインドに侵入し先住民族であるドラヴィダ人を支配する過程で互いの宗教が融合し合い、アーリア人が先住民族に対して自分達の優位性を正統化するために理論化された教えであると言われています。この教えが紀元前5世紀頃に四大ヴェーダが成立することにより、宗教としての形が思想的にも明確になります。これによってバラモンを頂点とする身分階級が思想的根拠を持つことになりました。その思想とは、永遠な存在である霊魂(アートマン、我)が業(カルマ)による束縛(親鸞聖人はこれを「業繋」と呼んでいます)によって輪廻転生し、過去世から現世、前世から来世の人生が決定づけられている、というものです。
 時代が移るに従って、バラモン教の神々も変化していきます。釈迦の頃にバラモン教で中心となっていたのは、インドラ(雷神、帝釈天)・ヴァルナ(水神、天空神、司法神。古代のイラン・インドの神話共有時代における始源神)・アグニ(火神、拝火信仰の祖)などですが、次第に各地の民族宗教・民間信仰が取り込まれ、それまで脇役であったシヴァ神やヴィシュヌ神の地位が高まっていきます。このことは、古くからの神を祭っていたバラモン階級の影響力を弱体化させることになりました。このようにして、バラモン教は現在のヒンドゥー教へと変化していったのです。ヒンドゥー教もヴェーダを聖典としていますが、叙事詩(ギータ)である『マハーバーラタ』、『ラーマーヤナ』、やプラーナ文献などの神話がより重要となっています。このことは、哲学的な宗教から神話的、神秘的な宗教へと変化したことを表しています。このような宗教の質的変化は、ギリシャ哲学からキリスト教へと移ったヨーロッパと共通していますし、後に触れますが仏教にも同じようなことが言えます。

3、古代インドの世界観


 古代インドでは、世界は巨大な亀の甲羅に支えられた3頭の象が、半球状の大地を支えていると考えられていました。この大地の中心にはヒマラヤをモデルにしていると言われる須弥山(または妙高山)とよばれる高い山がそびえています。須弥山の下には、下から風輪、水輪、地輪、金輪と重なる世界があり、周囲は七つの金の山と鉄囲山があり、その間に八つの海が同心円状に交互にとりかこみ(九山八海)、人間が住むのは最外縁の南に浮かぶ閻浮提(えんぶだい)とされています。ちなみに、東には勝身州、西には牛(ご)貨(け)州、北には倶盧(くる)州という私たちとは全く違う種類の人間が住んでいる大陸があるとされていました。また、閻浮提の地下には地獄(奈落)があり、ヤマ天(閻魔天)の支配する世界があるとされています。この世界観は仏教とともに日本にも伝えられ、江戸時代に仏教天文説を目に見える形で表した時計じかけの「須弥山儀」が考案されたりしています。
 現在、チベット仏教徒の間ではカイラス山が須弥山とされ、信仰の対称になっています。このカイラス山はヒンズー教徒にとってもシヴァ神のティンガ(男根)とされ、ボン教やジャイナ教でも聖地とされています。カイラス山そのものは神聖なものとして登山はできませんから、この周囲を回って巡礼します。ちなみに、チベット仏教徒は右回りに、ボン教徒は左回りに巡礼を行います。(以上)






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